ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

連休明けの不安定な子ども

ちょっと大きくなって、園や学校に行くようになり、緊張の中の4月を乗りきって、家族で過ごす連休に心をほぐし、充分に休息と栄養を取った後の連休明け。

大雑把に分けると2通りの子どもがいます。


リフレッシュしたので、難なく登園・登校できる子

リフレッシュしたのに、どことなく不調で行くのを渋る子



さぁ親としてどうしましょう?


その対応は、2通りではなく、十人十色以上に子どもの数だけ必要になります。


難なくいく子にも、注意しましょう。
実はリフレッシュした親に心配させたくないのかもしれません。


行き渋る子は、無理やり行かせるのか、もう少し休ませるのか、、、



対応は星の数ほどですが、大切な入り口はひとつです。


行く行かないの前に、《どうしたいのか》を聞いてみてください。


その中で《家で遊んでいたい》は、後々困ることになる代表格の問題になることがあります。


しかし、我慢強く《その後どうしたいのか》を聞いてみてください。


とことん《それで?その後どうしたいの?》と。


例えば子どもが「もうわかんないよ!」何て言ったら、「そうか~わかんないのか~」と受け止めます。

その後、「ママやパパにはわかるの?」と聞いてきたときに、やっと親の意見を言います。それまでは言いたくなるけど、とにかく聞きます。じゃないと親の意見を聞かない状況になりますので。

とことん聞いてもらったら、相手の意見も聞きたくなるものです。



不登園・不登校は現代では《悪いこと》ではありません。
無理に行かせることの方が害悪になることも有るからです。

そのために、《どうしたいのか》をとことん聞くのです。


その後、どうしても行きたくないなら、できれば転園・転校するとか、フリースクールのようなところに行くのが親子共々心が休まります。


外に出られないほどの何かがあるなら、本当にとことん聞かねばなりません。


親の意見を聞いてこない場合は、
どうしたいのかを聞いた後、親にどうしてもらいたいのかを聞きましょう。
それが可能か不可能かではなく、子どもが要求している事を聞ききることです。

そして、それはできないよと切り捨てるのではなく、そう思っているのか~そうしたいのは山々だけど○○だから、どうすれば良いのかな?
と、相談する形で聞いてみましょう。


例えば
おうちでゲームしたい!
パパとママも一緒にやろうよ!

そうか~ゲーム好きだもんね~。楽しいよね~。
パパもママもゲームしてたら、どうなるかな?
仕事はどうしよう?
パパは○○しなくちゃいけないんだけどどうしよう?
ママは○○なんだけど?

そんなの良いからゲームしよう!

ご飯作らなきゃ食べられないなぁ~ゲームしてたら作るのイヤになっちゃうかも~どうしよう?


などと、親がそれを受理したら被る困り事をとにかく聞いて解決してもらいましょう。


もし根深い問題があったら、聞いているとなんか不自然な言動や行動があるので(突然話を終えようとするなど)注意を払いましょう。
その場合は、しつこく聞くのではなく、話を聞くスタンスは親が持っていること・親にして欲しいことでできることは全力でする事を伝えて、一旦おしまいにしましょう。


なんとなくのフワフワした不安がある場合は、聞いているうちに、自分の考えがハッキリできるように聞いていきましょう。

親の興味本位で聞くのではなく、子どもがどうしたいかを理解するために聞きます。

できれば聴くであって、訊くではなく。

聞き流すのでもなく、理解するために聴くのです。
問い詰める訊くではありません。

たくさん理解するために。



それから、その後を考えましょう。

子どもの成長を 知らずに阻害?

赤ちゃんは、お腹にいる間は天地を逆に生きていました。(たまに逆子の時がありますが)


そして、産まれたら仰向けに寝かされます。

生れたては、仰向けですよね。(確認)


赤ちゃんは、仰向けに寝かされている間に、重力との闘いをしているのですって。
重力との闘いに勝つと、手足をバタバタさせます。

そして、目の前の空間を感じて《空間認知能力》がつくのです。


しかし、うつ伏せに寝かすと泣き止むからとか、よく寝るとかでうつ伏せにしてしまうと(短時間ならいいのですが)、重力は反対に身体にかかり、目の前には空間がなく、さらにはまだ呼吸がしっかりとできていなければ、口周りの酸素だけを吸ってしまい、その他の空気を動かすほどの威力がなければ、酸欠になってしまうのです。(原因不明で呼吸が止まっているのは、これではないかと私は思っています←私の私見です)



赤ちゃんは、自分でバタバタして、いつの間にか寝返りをし、首をもたげ、足を突っ張り、さらにジタバタして、ハイハイをし始めます。


親は、首が据わり足にチカラを感じると、脇を支えてジャンプさせたり歩かせたりしたくなりますが、それが子どもの自力での《成長するチカラ》を補助しすぎてしまうことになるというのです。



さて、そんなことも露知らずその後もハイハイよりも支えて歩かせるとか、歩行補助具で遊ばせたりとか、日本語も理解していないのに日本語以外の言語を聞かせ続けたり……。

それも、親がつきっきりで子どもから目も手も心も放さないなら良いのですが。
だいたいそんな時は、何らかの器具や機材に任せっぱなしで親が子どもと向き合っていないのです。
すると、子どもの心の成長は《自分の中に閉ざされてしまう傾向》となりがちなのです。(そうならない子もいますが、そうなる子もいるのです)



子どもと向き合っていないと、今気づいたなら、今から向き合いましょう。

今、向き合わないなら、もっと大きくなってから《育て直し》になります。


たまに、こういう話をしていると、パートナーが《育て直し》を必要だと感じる人もいます。

そうしたら、そこから《育て直し》しましょうよ。


じゃないと、明日・明後日・明々後日……もっともっと辛くなります。


気づいた時から《育て直し》です。


もちろん自分が《育て直し》を必要だと思うなら、自力でできるなら《育ち直し》を。
もしくは、誰かにチカラを借りて《育ち直し》をしましょう。



いくつになっても、やろうとさえ思えばできますよ。

私もしています。

子育てのし直し

子どもが充分な愛情を心に持てずに育つと、とても不安定になります。

それは、親が充分な愛情を 与 え て いると思い込んでいても、子どもが受け取れずにいれば、持てないのです。


すると、子どもは心が不安定で、孤独感に苛まれます。

そのままだと、非行に走ったり、心の病に陥ることがあります。


子育ても終盤に入っている年齢でも《年相応》に心が育っておらず、チグハグな行動をとったりします。


そういう場合、育て直しをすることになることもあるのです。



実は、子育て中、何歳であっても、その都度育て直しをしていれば良いのですが、「もう遅い」と目をつぶってしまいがちな親がいます。

その結果、大きな代償が振りかかるのです。



育てたようにしか育たないのです。


あれ?これは伝わってないな!と、素早くキャッチして、自分の子育てを修正しましょう。


子どものチカラを信じなければならないのですが、子どもはエスパーではないので、親の言いたいことをすべて理解できるわけではないのです。


親である大人が、子どもに理解できるように伝えなければ、伝わらないのです。


親もエスパーではないので、子どもをすべて理解はできないかもしれません。


だから、話し合いましょう。
確認しあいましょう。


笑顔のために。
お互いの未来のために。

泣く子ども 泣かせる親?

赤ちゃんの頃は、寝る・飲む・出す・泣くです。

そこから、親と何らかのコミュニケーションをとっていき、泣く=不快
が何なのか推測しながら、ドンドン意志疎通していく。


言葉を獲得できたら、泣くよりも有効手段として、自分の気持ちを言葉にすることを教えると、泣かずに言葉で伝えてくるので、とても楽にコミュニケーションがとれる。



私はそうして息子を育てたので、どこか出掛けて、泣いて困った事はほとんど無い。
まだ言葉を話す前に見に行った何かの舞台で、真っ暗になった時に泣いてしまって、すぐ席を後にしたくらい。


息子もそれが当たり前のように育った。

ファミレスなどでは、私の膝の上に座り、ご飯を食べて、おとなしかった。
店内を走り回ったり奇声を発したりもしなかった。



高校生になり、授業で子育て(?)の話しになった時、「泣きわめく子どもはしつけてから公共施設に連れてこい」と発言して、教員と女子から「キミも子どもの頃には泣きわめいていたはず!そんなこと言うな!親に聞いてみろ!」と言われたと。

確かにキミは泣きわめいていない。何故ならそのように育てたからだ。
しかし、それを誰かに強要してはいけない。キミの子どもが産まれたら、キミが泣かさないように育てれば良いのだ。嫁に強要するな。

と、私は言った。


子どもとどこかに出掛けたら、泣きわめく前に……いや、出掛けている間中、子どもがどう感じているかを察知していれば、泣く前に何かできるのだ。が、慣れないとかなり難しい。



そういう私は、友達の誕生日パーティーに生まれたての息子と夫と参加したとき、泣き止まずとても困った経験がある。

その時の私は息子の様子に細心の注意を払っているようで《子どもの事を第一に考えている母親》と思われたいと思っていたような気がする。

泣き止まない息子と格闘するが、どうにも泣き止まないので、《早く泣き止ませないと!》と思っていたであろう。

そんな私を思って、夫が代わりに抱っこをし、少し外に連れていって、寝かせて帰ってきた。

周りの人々は「眠かったのね~」であった。

私は、勝手に《母親失格》と自分に烙印を押した。


そして、振り返って自分を観察したら、息子をどうにかする自分に注目していた事に気づいたのである。


そこから、自分がどうこう言われるとか見られるとかよりも、息子の気持ちを察することに専念したのだ。




我が子だけではなく、そこにいる子どもの気持ちを察することに専念すると、ほぼほぼなんとなくわかることがある。

子どもがわけもわからず泣き始める時は、自分に注目されていないと感じた時なのだ。


注目しているようで、おざなりにウンウンと生返事していたりするのだ。



肌を放し、手を放し、目を放しても心は放すなとは、そういうこと。


肌が離れていなくとも、手を繋いでいても、目はスマホ、心は?

それじゃ泣くよね。


心を放さず育てた子どもは、思春期有れど反抗期は軽い。


子育て期間は永遠ではないので、楽しみながらやりきりましょう。

親の楽しみ 子どもの楽しみ?

親は子どもがどんな表情でも可愛くて仕方ないってことあります。


笑っている時や喜んでいる時は当たり前ですが、何でもないのに怖がっていたり泣いたりするのも可愛くて可愛くて……。なんてことありませんか?


なまはげや節分の鬼に泣いたり、理不尽さに怒ったりも可愛いのですが……。



親は例えば不審者や事件・事故の時は、必死で守りますが、親本人が安全安心がわかっている場合に可愛さで笑ってしまいます。

そして、単に転んだだけでも可愛くて笑ってしまうんです。


さて、子どもの気持ちになってみましょう。


怖い・怒ってる・痛い…のに、信頼する親に笑われたら?


親は愛おしいのですが、それが伝わるでしょうか?


親はどんな状態でも可愛くて、それが楽しくなっても、子どもには伝わっていません。


それを理解して考えて、子どもと接して欲しいです。

自転車の練習の時に……。

子どもが自転車に乗れるようになるために、よく親が後ろを支えて一緒に走っている光景を見ます。

最近はペダルのないものを我が物顔で、ビュンビュンと飛ばしている子どもを見かけます。(以前、屋内で廊下を飛ばしている子どもを見ました。親は近くのベンチでおしゃべりしていました)

補助輪をつけていても、つけていなくても、公道を走る場合、乗れるようになって親と共に走る時……。


そういう時、親はどう考えますか?


まず、ペダルのないものを屋内で乗るのは禁止でしょう。

すべては公園において、練習しましょう。


そして、まず、ペダルのないものも補助輪有りでもなしでも、止まる(ストップ)の練習をして欲しいものです。


スピードに乗れば自転車は乗れるのですが、本能的に怖い!と思うとスピードに乗れずに転んでしまうのです。

なのでまず、止まる事を覚えてから初めて欲しいのです。



ペダルのないものを乗り回す子どもは、足を着いていて、ただ走り出すようなものなので、スタートする時に怖くないのです。そして、ドンドンスピードを出すのです。
しかし、止まれを教えてもらえてないので、どこでも我が物顔なのです。


自転車はスピードに乗る前に、足をペダルに置いてからなので、怖い子は怖いと思います。
なので、片足を着いてペダルをぐっと踏んだらストップする(ブレーキをかける)を覚えて欲しいのです。

すると、転ぶ前にブレーキをかけて止まる(足を着く)のです。



公道で親と走る時は、子どもを前にするか後ろを走らせるか問題があります。

後ろを走らせる親は「自分の運転を見て学ばせる」という意図があるのですが、親は後ろを確認できないので、どんな走り方をしているのかわかりせん。
わからないので、転んでしまい痛ましいことになったということも聞いたことがあります。

前を走らせる時は、親が確認しながら声をかけてなので、良いと思われますが、止まれ!をしっかりと学んでいないと困ることか多々あります。



子どもが○歳になったら、自転車に…ではなく、親と一緒に自転車でお出掛けなど目的を決めてからにしましょう。

自転車に乗れるということは、子どもの行動範囲が大きく変わります。


子どもが自転車に乗れるようにと思うのは親心ですが、その後のことも予測しておきましょう。


道路交通法も教えないと、事故にもあうのです。


乗れるようにしました。おしまい。

ではないのです。



止まれない子どもの自転車は、本当に危険です。
大人が止まれを教えてください。

昔 と 今

子育ては、永遠に続いていますが、子育て方法はいろいろです。


もう、いろいろいろいろいろいろあります。

更に、コロコロ変わっています。


白湯(湯冷まし)を飲ませる
抱っこをすぐしない
抱っこをすぐする
泣かせない
少しは泣かせる
おんぶ派 抱っこ派 前向き抱っこ派
殴って覚えさせる
体罰は絶対ダメ
母乳派 ミルク派 混合派
オムツは1歳前に外す
オムツ外しは本人が取ると言うまで
好き嫌いするなら3日食べさせない
アレルギーは完全除去食
アレルギーは少しずつ慣らす
日光浴をさせる させない

その他にもいろいろいろいろ


時代によって変わっていくのですが、かわらないものがあります。


それは、
子どもを理解すること
子どもに愛情を注ぐこと
子どもが間違った方向にいかないように導くこと

それらをどうするのか、やり方が様々であるだけ。


やり方は様々でも、原理はひとつ。

親は、やってるつもりではなく、子どもに伝わっているか確認しながら子育てしていきましょう。


子どもが間違っているのか、親が間違っているのか、親が迷わないように、自問自答しながら、パートナーや誰かに相談しながら。


子育ては親だけでしなきゃいけないわけではないけど、誰かに任せっぱなしでもない。


子育てした分、後にどう返ってくるかも決まります。


なるべく、楽しんで子育てしましょう。