ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

ご近所付き合い

最近は、隣に誰が住んでいるのかわからないこと有りますよね。(マンションなどでは、隣以外に上下も)


子どもがいると、泣き声とか足音や叫び声など近所迷惑かとビクビクしてしまう時があります。

まぁ、子どもの泣き声とか叫び声で近所迷惑と思うより、まず虐待していなければ大丈夫ですなんですが。


そういうとき、近所付き合いをなんとなく上手くしていれば、泣き声とか足音や叫び声で「うるさい」と言われたり虐待を疑われることもなくなるのです。

ガッツリ仲良くしなくても、挨拶だけでもできると違うし、ゴミ出しとかで顔を合わせたら、天気くらいの話ができたら、更に良いですよね。

更に、「子どもがいつも騒いでてすみません」と言って、「大丈夫ですよ。それが子どもだから」とかなら大丈夫で、「元気ですよね~」とかなら、ちょっとうるさいと思っているかもしれません。



近所で、うるさいと思っている人には、子どもが挨拶していると顔見知りになりうるさいと感じなくなるそうです。(ただし、このご時世なので顔見知りになっても親がいない時に部屋にあげても、上がってもいけないと約束はしておかないといけないのです)


そして、近所付き合いがそれなりに上手くしていれば、なんとなく助け合っていけるようにしてくれるかもしれません。


たまに「あら、お出かけ?どこに行くの?」に、真剣に答えなくてはいけないのが負担と思う人もいますが、そんなもん「あっちょっとそこまで……」とかでいいのです。


まぁ近所にも変な人がいるかもしれないので、そこは親が吟味しましょうね。

子どもらしいから良いじゃないか……?

今日、ある公共施設にて、小学生が何人か自転車で乗り付けて、駐輪場 《近く》の場所にバラバラに乗り捨てて施設内に入り遊んでいました。

施設から出た私はその状況を見て、施設に戻り、公共施設の職員に「ちょっと子どもたちの自転車がひどいことになっているのですが……」と伝えたら、子どもたちに「自転車乗ってきた人いる~?ひどいことになってるってクレーム来たよ~!一緒に行くよ~」と言いながら駐輪場近くに行き「ちゃんと並ばせないと~!」と。


出てきた子どもはワルガキっぽい男の子1人。
職員と2人でほかの子(全部で5台分)の自転車を直します。


私は「キミは、ほかの子の分も直して偉いね」と声をかけて、職員には「ちょっとひどいと思ったけど、クレームではないですよ」と声をかけて離れました。





一緒にひどい状況を見ていたオジさんは「子どもらしいじゃない」と言っていたのですが。


駐輪場が決まってない場所ではないし、小学生だし、公共施設だし……。
で、私は注意したんですよ。


子どもらしいと、見過ごすことはできました。
しかし、どうなのでしょう?


見過ごしたらいつ直るのでしょうか?


公共施設の駐輪場に自転車を並べて停める。

これはいつ、できるようになるのでしょうか?

それは、最初から並べて停めればできるようになるのです。


ですが、最初もしくは誰かと一緒に来た時に、並べない状況になってしまったら、もう並べなくて良いじゃないかとなるのでは?


それをクレームが来たから直す?


違うなぁと思いました。



あなたがこの場面に遭遇したらどうしますか?

もしくは、あなたの子どもが自転車をこのように停めていた時に、子どもらしいと見過ごされたいですか?



最後に、実はもうひとつ。
職員と子どもが自転車を直した場所は、車椅子用の車止めでした。(そのとなりが駐輪場なのですが、もっと奥に行かないと空いていない)

もう、この職員はダメだなと何も言いませんでした。



子どもらしいと許されるのは、そういうときでは無いと思っています。

嘘つきにさせる親?

子どもは親が大好きです。
親に嫌われたら生きていけないと本能で知っています。


さて、例えば、
親が大切にしているものを、子どもが見てみたいと思い、手に取るときに誤って落として壊してしまいました。
子どもはどう思うでしょう?

壊したと言ったらどうなるかを、まずは考えるでしょう。

親がなんで壊したの!?大事にしてると知っているでしょ!?と言われそうだと思ったら?

隠したら気づかない?


知恵がついてきたらそんなふうに考えるでしょう。


まだ知恵がついていない時は泣きます。どうして良いかわからない時はとにかく泣くのです。
その時の親の対応で、知恵がついていくのです。

子どもは悪気があって、やらかすことは知恵がつく前は無いのですが、やらかした後に知恵がついていくので、知恵がついてからやらかした時に、どちらに転ぶかは、親の対応でつく知恵から決まっていくのです。


桜の木を切って正直に言ったから、怒られなかったと言う話があるように、どう対応するかです。


悪いことをした。怒られたくない。

正直に言ったら怒られた。

次は正直に言わないと決心する。

2
悪いことをした。怒られたくない。

嘘をついてやってないと言った。

嘘がバレてめちゃめちゃ怒られた。

次は……嘘をつかない?もっと上手に嘘をつく?


悪いことをした。怒られたくない。

正直に言った。

今後注意しなさいと言われた。

怒られたわけではなかった。

次からは気を付けよう。


その他のパターンもあるでしょうが、怒ればやめるという短絡的な考えは、本当にやめているのかわからないですよ。


よくある恐怖で支配すればやめるという考えは、その支配バランスが崩れた時に、自分が恐怖で支配されても良い場合だけです。


子どもが嘘をつくのは、親がそのように育てているからだと、私は思っています。

嘘をつく子ども?

親は……いえ、ひとは、自分の都合が良いように何事も考えてしまいます。

そして、たまたま、何らかの偶然で我が子が言った言葉を《勝手に悪く考えて》しまうと、我が子の心を置き去りに「何て悪い子どもなの!」と、なってしまったりします。


例えば、毎日別の子に意地悪されている子が、「(毎日)誰にやられているの!?」と、ママに訊かれて、たまたまその日、親友とふざけていてそれは意地悪ではなく楽しかったので、「(今日は)○○くん(と、遊んで楽しかった)!」

さぁママはどう考えるでしょう?

我が子が毎日意地悪されている
○○くんだと証言している
○○くんママに連絡取って訊かなくちゃ!

○○くんのママは突然「うちの子が毎日○○くんに意地悪されているの!」と言ってくるママに動揺してしまいます。

我が子に訊くと「一回やった(でも毎日やってるのは△くんだよ)」と言われたら?




そんな勝手なストーリーを作り上げて信じないで、我が子を、信じましょう、


けっこう他人の言葉を聴いてしまい、我が子をしんじられなくなる親は多いです。


あなたが信じるのは我が子だけなんですよ。

記念日

家族全員の誕生日を始め、正月・成人の日・節分・ひな祭り・こどもの日・母の日・父の日・敬老の日・体育の日・七五三・勤労感謝の日・大晦日

日本では、日本古来のものでなくとも、バレンタインデー・ホワイトデー・ハロウィン・クリスマスなども取り入れていますね。


多分、子どもにかかわるひな祭り・こどもの日などや誕生日は毎年祝うと思うのですが、家族の誕生日はどうでしょう?

そして、特に母の日・父の日などは、各々の親が子どもと一緒に「ママに・パパにありがとう」を言おうと誘わないと子どもは、知らずに何事もなく過ぎてしまいます。


敬老の日も、勤労感謝の日も、まずは親が感謝を伝える事を見せましょう。


ただ、美味しいものを食べたり祭り騒ぎで騒ぐ日にするのではなく、その日はなんで祝うのかなどを考えられるようにするとさらに良いでしょう。



エネルギーが溢れる子どもは、そのエネルギーを発散させたがり、無茶な事をしてしまいがちです。

渋谷のハロウィンで無茶な事をしでかすのは、エネルギー溢れる集団心理なのです。


祭りで無茶な踊りをするのも、祭りではなくとも暴走したり、集団で何かをやらかすのも、エネルギーが有り余っていすぎるからなのです。

その逆にエネルギー不足は気力が失くなり、何もやる気が起きません。


エネルギーのバランスを整えるために、記念日や祭りなどを活用しましょう。


エネルギーが溢れる子どもは、そこで発散させるように。
それでも溢れる子どもは日々発散できるスポーツ系の習い事で発散してもらいましょう。(水泳は全身運動なのでオススメですが、泳ぐのが嫌いな子はダンスとかオススメ)

エネルギーが不足している子どもは、記念日や祭りで主役にかかわるような…(主役ができれば良いのですが、エネルギー不足過ぎるとそれが負担で余計やる気がなくなります)…何かひとつやりとげてもらいましょう。
ただ、晴れ着を着て写真を撮るだけでもOK。(写真嫌いな子にはNGですが)
子どものエネルギー補給は何かを探して、こまめに補給しましょう。



もう、何でもない日だとしても、誰かと同じに「何でもない日おめでとう!」などと、発散するとか補給するとかしましょう。



それには、まずはなんかの記念日を大切にするところからです。
やってみませんか?

子どもの気持ち 親の気持ち

よく「相手の気持ちになりなさい!」と言う人がいますが、そう言われた人の気持ちになることは無いのでしょうか?


親は相手の気持ちになって考えろと言うことが多いのですが、実は親が子どもの気持ちになって思いやって育てていると、自然と相手の気持ちになって考えるようになるものです。


それと、子どもの気持ちに寄り添うとか話を聴くとかと、《相手の希望を聞き入れる》とは別物です。

たまに、話を聴くというのは無理なことだったらどうすれば良いのですか?と、聞かれます。

無理なことを言われても、それを聞き入れるのは無理なんですと。



私は、無理なことを無理して聞き入れましょうなんて言ったことは無いのですが、話を聴く=願いを叶えると、思ってしまうような脳内変換をしてしまうのは、注意しましょう。


子どもの気持ちになるのは、
そう考えるのは何故か?(裏に何か隠れていないか)と、それを叶えるためにはどうすれば良いのかを子ども自身が考えるため。

親がそれを勝手に叶えては、子どもの自立を阻害する種を植えるようなもの。


まず子どもの気持ちになってみる。

それからどういう思考でそう考えたか味わって、子ども自身がどう考えれば良いのかを一緒にあれこれ考えましょう。


話を聴くのは、話し手の脳内の整理だと思えば良いのです。


人に話すと、自分の考えも整理されるので、聴いてくれる人を見つけてください。

そうすると、話している途中で被せてくると「聴いて!」と思うし、途中で「そういうときはさぁ~」と、(アドバイス)言われるときも「聴いて!」と、思うものです。


それを、話を聴かない親は子どもにやっているのですがね。


子どもにすぐ答えを教えがちな親も、話を聴いていないのですよね。


例えば、暗記物などでどう考えても答えが決まっているのなら、すぐ答えを教えて迷わないのも良いのですが、どう考えるのかが重要なときは、考えさせることが大事なわけですよね。


子どもの気持ちになって話を聴くことが大事なのですが、それだけだと、むずむずと、私の話を聴いて欲しいと、思うことがあります。

誰かを探しましょう。(良ければ私が聴きますよ)



けっこう、話を聴くのは難しいので、子どもが小さいうちから、聞き上手になっておきましょう。

環境を作る

親になると、我が子のために、いろいろ考えます。


子どもが産まれたから、引っ越して環境を整えようと思うこともあります。


引っ越し先が、どんな環境か下調べをするでしょう。


学校・病院・スーパー・公園・駅などなど、近いとかどこかとか。

近所の人はどうかなぁとか。


親のどちらかがずーっと住んでいるところに結婚したから一緒に住んだとしても、同じことです。(新たに引っ越して住むということになるのですから)


環境が整っているところに引っ越して来たとしても、実はそこに住んでいる自分たちがそれからの環境を作っていくのです。

環境が良いと思っていても、悪いことばかりする人がいて、誰も何もしなければ、悪くなって行くのです。



水が上から下に流れていくように、良くても悪い方に引力に引っ張られるように。


環境を整えたかったら、少しでも良いので、努力をしましょう。


その環境が、子どもに有っているように。


先日聞いた話だと「とにかく子どもが車に轢かれないように、子どもの導線には、大通りの無い地域を選ぶ」という発想があるという親もいるとか。


そういう発想もあるでしょう。

昔の日本ではあり得ないのですが、外国では10歳以下の子どもだけが、大人がいないところにいるだけで親が警察に呼ばれてしまうらしいのです。

公園で子どもだけで遊ぶなんて持ってのほかなんですって。


アメリカとかは、放課後はそれぞれの家の庭で遊ぶのだそうです。放課後友達と遊ぶなんて有り得ないのだそう。(習い事には必ず親の付き添い必須)


日本では平和ボケとも言われてしまうくらい、平和ではあるけれど、最近はいろいろ危険もあるようになってきました。


そしてやはり親としては、子どもの周りの環境を整えるために、人間関係をも整えて欲しいです。

親にとっても、人間関係を整えるのは難しいところではあるけれど、自分の周りにいる知らない子どもにも目を配って、さりげなく認めたり注意したりをオブラートにくるんで、言おう。


そんなことすると危ないよ とか
あら、助け合ってて素敵ね とか


我が子を挟んで約11年の上下(我が子が小1と考え上が小6まで、小6と考え下が小1)の間の子どもは、未来の我が子に関係してくるかもしれないので、大切にしておくと良いと言われているそうです。

そう考えると、周りの子どもを大切にしようと思いませんか?
すると、大切にされた子どもが我が子を大切にしてくれるようになるかもしれません。

あるお母さんが我が子から聞いた、ちょっといじめになりかけな絡みをしてくる子どもに、「○君だよね?○○の母だけど、一緒のクラスだよね?なんか○○最近、ちょっと意地悪されてるらしいんだよね~。知ってる?(○君下を向いている)○君にお願いがあるんだけど、もし○○が意地悪されてたら、助けてくれないかな?○君なら、できそうだからお願いしたいんだけど…大丈夫かな?」と意地悪していると知ってるのに知らない振りして言ったそうです。
すると「わかった。やってみる!」と言ってくれたそうです。

で、次の日から意地悪はなくなったそうです。
仲良くなったわけでもなく、付かず離れずだったそうですが、ピタリと意地悪はなくなったそうです。
もちろんほかの子にもやらなくなったそうです。



このように、同級生含め、上下11年分我が子同様、良い方向に向かうように環境を作るのが、大人の役目です。


我が子を取り巻くすべての人が笑顔であることを、目指したいと私は思っています。



もし良ければ、あなたも環境を作っていってくださいね。