ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

子育ては、大人も育つ必要があるよね

シングルマザー·シングルファザー特別養子縁組など、今はたくさんの親子関係が存在する現代。

子どもを授からなかった夫婦もいる。

子どもを育てるということは、自分が育ち直さないと難しい場面が多々ある。

離婚しシングルになったことで子どもに負担が掛かると、不安な親。
血の繋がりが無いと不安な親。
子どもを迎えていないことに、何やらの心のモヤモヤがある夫婦。

更には、実の子なのに何やらの不安があったり、虐待してしまう親もいる。

学校の先生と生徒の関係にも通ずる、大人が子どもを育てる時に、子どもには、こうでなければならない!という理念や思想があり過ぎると、その関係はおかしくなると私は思っている。

シングルになったから、血の繋がりがうんぬんかんぬん……そんなこと取っ払って考えてみると、色々見えてくる。


私は息子を育てる中で、どうしても腹が立つ時には、自分の思い通りにしようとしていないかどうかをチェックする癖をつけた。
その時の素早いチェック方法は“他人の子どもを預かっている時“を想定して、実の息子を他人の子どもとして怒るかどうか判断するのである。

ママにありがちな他人の子どもは許すけど、我が子には厳しいってやつ。
子どもにとってのストレスのひとつだと私は思っている。逆もしかり。

親(大人)の都合で許したり、叱ったりではなく、誰であっても“いけないことはいけない“と注意することに大人としての責任があるのではないかな。

離婚して不幸になる子もいるけど、離婚しないから不幸になる子もいるし、親都合で叱られて不幸になる子もいるし、叱られずに不幸になる子もいる。

この違いは、子どもを見ていないこと。

例えば幼少期、叩きあいの喧嘩が起こり、どっちが先に叩いたかや原因追求して、我が子であれば強く叱り理由がどうあれ謝らせたり、相手が先だと理由がどうあれ我が子に我慢しろと言ってばかりだと、子ども心に自分は、愛されていないのでは?と思わせてしまう。
逆の場合、どういう理由であれ、我が子が傷ついたと相手を責めたり、あなたは悪くないと理由を聞かずに擁護する場合、子どもは何をしても怒られないと天狗になる場合と、叱って貰える方が愛されているのではないかと(天狗も同じように)悪さをして、エスカレートしていくと思うのは私だけだあろうか?

子どもは、身近な大人をよく見て育つ。小さい頃は親を見ている。

パパもママも自分を律しながら、一番身近の“いい大人の見本“として、見て貰うのが子どもの育ちにいい影響だと思っている。

今はあまり見かけない、他人の子どもでも悪い時には怒鳴り付ける大人が必要だけど、怒鳴り付けられたときの親の対応に問題が有りすぎと、必要以上に怒鳴る大人が迷惑になってるよね。


昔、電車の中で騒いでる子どものママが「お姉さんに怒られるからやめようね」と隣にいる私に聞こえよがしに言った時に、独身だった私は「うん。お姉さん、キミがうるさくしてたらそろそろ怒るよ」とニッコリ微笑みながら子どもに言って、母親をチラリと見てやった。子どもはすぐさま静かになったが、母親がそそくさと席を移って行った。
そんな怒り方って変だと思った私は、息子に向かって「そろそろママ怒るよ。ってかもう怒ってるけどねっ!」と注意しても止まらない時に言ってたなぁ(笑)


最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
よろしければコメント(非公開も)ちゃんと読みますので、書いてくださいね。(返信は遅くなっても必ずしますが、遅いなと思ったら催促してください)