ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

子どもの頃どんな子どもだった?

自分が子どもだった頃を思い出してみよう。なるべく小さい時のことから。

お父さんとの思い出は?
お母さんとの思い出は?
両親以外の大人は誰がいた?

良い思い出、嫌だった思い出。

あの時こうしてもらえて、良かった!
あの時こうしてもらいたかったのに!

大人ににしてもらったこと、してもらえなかったこと、されたこと。


よくあるのは、自分が育てられたように子どもを育てているということ。

あの時は嫌だったけど、大人になってからは、あれは必要だったとおもったとかない?

でも、それを「今は理解できなくても必要なこと」と理解できてたら、どうだろう?
無理無理やらなくてはいけないことを、何故やらなくてはいけないか。

多分、理解せずともやらなくてはいけないと素直にやれる子と、理解しないとできない子がいるんだと思うのだけど。

理解しないでもやらなくてはいけないと、できる子はそれで良いのだけど、理解しないとできない子は、苦しい余りに間違ってしまうこともあるのではないかなと思う。

親の愛が伝わらないって現象。


子どもの質問で有名なのが「何故勉強をしなくてはいけないの?」

これにアニメの誰かが「そんなバカな質問をしない為にさ」と答えるってのがあったけど、それで納得する子はよしとして、しない子は?


私は納得できないと動きたくないタイプの子ども(今も?)なので、よく親に聞いていたが、親は面倒臭いのかわからなかったのか「そんな余計なこと言ってないで、いいからやりなさい」と言うタイプだった。
聞いても答えが得られないので、不満が募るが、なんとなくやらなくてはいけないと漠然と思っていた。

息子が産まれて、質問には必ず答える親に私はなりたかった。

だけど、答えるうちに息子が不満顔になっているのに気付く。
ちゃんと答えているのに………。

ふと思ったのは、質問の答えが難しいのではないかなって。

極めつけの質問は、何故昼にお月様が出てるの?だった。
え?何でだろう?どうしたらわかるように答えられる?自転公転とかどう言えば?
そこで「難しい本当の答えと面白いインチキな答え、どっちが聞きたい?」と聞いたところ、ちょっと考えてから元気よく「インチキな方!」と言ったので「あのお月様は、寝ぼけているので昼に出てきちゃいました~」と答えてみたら、ケラケラ笑って「お寝ぼけお月様~~~」と。

それからは、難しい本当の答えと面白いインチキな答え、息子が選んでくれた方で答えていました。

ただ、「お店の中でどうして走っちゃいけないの?」「どうして電車の中で騒いじゃいけないの?」などのマナーとか、法に触れる事は理解できるまで答えていましたね。

息子が小学生の頃出掛けた帰り道、駅の改札口前で怒鳴り付ける母と、泣き叫ぶ子どもとすれ違った時「キミはあんなになったことなかったね。どうしてかな?」と聞いたところ「ママがボクにわかるように話してくれたから、ああいうふうにならなかったんだよ。あれはお母さんが悪いよ。子どもにわかるように話せばいいのに」と答えが帰ってきた。

お母さんにだって、巧く説明できるとは限らないのだけどなぁと思った瞬間だった。

だから、みんなに伝えたいとも思ったので、書いておこう。

我が子のわかるように話をする為には、まずは我が子を理解する。
それには自分が子どもの頃を思い出してみるところからヒントはあるかも。