ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

できることが当たり前?

生まれてきたら、(ミルクを)飲む·泣く·出す·寝るくらいができるだけで、後は全部人頼み。

そのうち、遊ぶ·笑うができてきて、首が座る·寝返り·ハイハイ·掴まり立ち·歩く·走る·トイレで排泄·離乳食·喃語·二語文·歌う···色々できるようになるよね。

さて、親になると、欲が出てくる場合がある。
赤ちゃんの頃はできないのが当たり前だから、セッセとお世話する。
そして、色々できるようになると、できて当たり前と思ってしまうのだ。

さて、それを自分に当てはめてみよう。
家事ができて当たり前。
子育てできて当たり前。
仕事ができて当たり前。

どうでしょう?

少し苦しくないですか?


昔々、出会ったお母さん。
「私は完璧に何でもできます!」と宣言されて、子どもの着替えやなにもかも、まだできないでしょ!と全てやってしまう。

ちょっとお母さんが別のお母さんと話してる間に、「自分で着替えてみる?脱いだ服畳んでみる?」と私が言うと、子どもはキョトンとしたのち、「うん!」。
一生懸命頑張って脱ぎ着して、畳みます。(ちょいちょいお手伝いしましたが、ほぼ、自分で)


できたところで、「お母さんに報告しておいで、自分でやったよって」と送り出すと、お母さんは「えっ?先生にやっていただいたんでしょ?!」と。
子どものがっかりした顔が忘れられない。

その後は、着替えはお母さんの前で直立不動もちろん無表情。


別の話だけど…
小学生でテスト用紙を親に見せたら、取れなかった点数を何故取れないのかと言う親とか。

これができたら、これもできるでしょうとか。

ここまでやろうと言われて頑張ったら、じゃあ次これね。とか。


それは親の深い愛情なんだけど、子どもにとっては重い愛情かもしれない。(タイプがあっていれば大丈夫だけど)

先の完璧にできると宣言されたお母さんが唯一できないのが、子どもを信じ見守り待つってこと。

○歳になったからできるでしょうって言う親もいるけど、それまでやってなければ、失敗することもある。たまたま、最初に成功してしまうと、次から失敗が許されなかったり。


できて当たり前と育てるよりも、失敗したら何回でもリカバリーすれば良しと育てるのはどうだろう?
もしくは、失敗を成功のもとにするように考えるとか。

もちろん、失敗しないことも大切。失敗しない努力も必要。
だからと言って、失敗してはいけないのではなく、失敗したら、それを認め、それを越え、成功に導かないと。苦しいだけでは、心は育たないのではないかな。

失敗しないようにしながらも、失敗を許さないのではなく、成長を促していけると、良いのではないかな?

難しいけどね。



できて当たり前ではなく、やろうとする努力は素晴らしい。
結果ではなく経過をみようってやつ。
経過が見られれば、どこかに失敗要因があると気づく。
それを改善すれば良し。

子どもの頃に失敗を恐れなければ、チャレンジ精神は鍛えられるかも。(子どもによっては臆病な子もいるので、チャレンジする子が全て良しではないですよ)

子どもに合わせて、子育てしよう。
親に合わせるのではなく。


親も子育てができて当たり前じゃあないのだから。