子育ての見本を積極的に探さない親は、自分が育ったように我が子を育てる。
我が親が素晴らしい子育てだったのか、今よく言われている毒親であったのか、どちらでもそのように育ててしまう。
私は子育てする前から、子育ての勉強をしたので、我が子を育てる時に自分の育った環境にしないように心掛けた。
自分が過去一番不安だった時期の小学校時代に成長した息子と、自分を重ねてしまい、ふと不安になり息子に「私はちゃんと育ているのかな?」と聞いてしまったことがある。
すると息子は「そんな不安なこと言わないで」と言ってきた。
「そうだよね。ゴメンゴメン!」と笑ってしまったのだが、自分と重ねて育ててしまう事を痛感した。
そうならないように気を付けていたのに。
しかし、その後息子が高校生になった頃に、学校の授業で「子どもを公共施設に連れて行くのは、ちゃんとしつけがなされてから。ギャァギャァ泣いたりする場合は、連れていくな」みたいなことを発言したらしく、揉めたのだと。
「俺は公共施設で泣きわめいたことがない!」と言ったとか。
「親に聞いてこい!」と言われたとかで、聞かれて困ってしまった。
確かに私は巧く育ててしまったので、公共施設で泣き叫ばれたことはほとんど無い。
少し泣かれるか、激しく泣きそうな時は、即座に泣いても良いように場を離れていた(離れたら泣かなかった)。
物心ついてからは、泣かないように息子にわかるように説明したので、理解してくれていた。
それを覚えている高校生の息子は、公共施設で泣いている子ども、泣き叫ぶ子ども、キーキー声で騒ぐ子どもを見ると「何故あの親は子どもをしつけないのだ!」とイライラしていた。
いやいや、そんなのは勉強してないとできないよとは思ったが、それを言っても息子は納得しないだろうと思った私は、「そう思うなら、キミの子どもはキミ自身でしつけなさいな。母親が全員できるわけではないのだから。嫁任せにしないようにね」と言ってみた。
授業での、子育ては母親任せというなんとなくの流れでの、先の発言[公共施設にはしつけてからにしてくれ]を、我が身にふりかかる事だと自覚もできたようで(我が家は父親も子育てしてくれていることを思い出した?)ちょっとハッとしながらも、納得したようだった。
周りの影響もありながらも、息子はどう子育てをするのかは、まだ未知の話だが。
私の周りは、自分が育てられたように育てて、苦しくなったら、相談しに来る人が多い。
苦しくなる前に、話しにおいでと思うけど、気付かないまま育ててしまうもんだよね。
少しでも苦しくなる前に、相談しに来て欲しいと思ってる私です。
苦しくなってからでも、いいけどね。
笑顔になってくれたら良いな。