試練がある時、アメとムチどちらかで乗り越えさせようと躍起になる親がいます。
ホラホラ、それを終わらせたらこれがありますよ(飴…ご褒美)
さぁそれを終わらせないと、こうなりますよ(鞭…罰)
親はそれを繰り返していると、ついつい気づかないうちに、習慣化してしまい(親が課しているのに)この子はアメまたはムチじゃないとやらないと思い込んでしまう。
たまにアメとムチを使い分けて巧くやっていると思っている親でも、この子はアメとムチがないとやらないと思い込んでしまう。
実は、アメとムチどちらも必要なく子どもがスムーズに事を運べるのに、親が勝手にアメとムチを用意してしまっているかもしれないのだ。
子どもがやるべき事はアメもムチも必要なく、やらなければならない場合、ちゃんとやるのだ。
ただ、やるべきタイミングが親と違うだけだったり、実は子どもはそれをやるべきとそもそも思っていないのである。
例えば宿題をやらない問題。
親も先生も宿題はやるべきと思っているが、子ども自身が必要ないと思えばやらないのである。
口を酸っぱくして言い含んだとしても、必要さを感じなければやらないのである。
この場合、子どもにやりなさい!と言うよりも、何故やらないのか、どうして必要ないと思っているのか聞いてみると良い。
やらなくても理解しているとか、勉強がそもそも必要ないと思っているとか、実は全く理解できていなくて、投げ槍になっているとか。
まず、そこを親が理解してそれの対策として、どうしていきたいのか聞いてみてから、提案してみるとか(受け入れない場合も、もちろんあるので何種類か提案を用意しておくのが良いかも)
それでも、やらないを選んだ場合、困るまで見守ることが親には重要。
小さい時に困ってやらないと!と、自分で思うのと、親にやらされてなんとなくイヤイヤやっているのでは、大きく違ってくる。
子どもが小さいうちに自立させておくか、まだ小さいからと親がフォローしてしまうかの違いは、親が子どもの可能性をどこまで信じるか、信じられるかなのだと思います。
だってまだできないでしょうと、手をかけるのは、この子はできない(可能性がない)と、思い込んでいるだけなのです。
できないからやらせてみて、失敗から学ばないと、いつまでもできないのです。
アメもムチも必要なく、失敗と経験が子どもには必要なのです。