ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

何でもやってしまう親

自分でやってしまった方が早いから

と、何でもやってしまう親いますよね。

子どもがやろうと思っても、まだできないからとか、遅いからとか、上手く(完璧)にできないからとか、サッサとやってしまう親。


私はここに、何度も[親が見本になるように]と、書いているけど、それは子どものやることを取り上げてやってしまうということではないのですが。

それをするとどうなるかと言うと、子どもはやらなくなります。

それを見て親は、何でやらないの!とイライラしながら、私がやった方が早いからと、またやってしまいます。

子どもは親がやってくれるのだから、更にやらなくて良いやと強化されます。

親はイライラ。子どもは親任せ。
子どもは、やっても文句言われ、やらなくても文句言われるなら、やらなくても良いやと…。


この関係をわかっていると、子どもに任せてやらせてみる。見守る。
その大切さをわかるはずです。

最初は上手くできなくて、フォローしなくてはいけなくて、二度手間だったりするのですが、そこを任せてやらせてみなくては、ずーっと親がやることになってしまいます。


任せてやらせてみても、ここはこうする\そこはあぁするなど、文句を言えば、じゃあやってよ!と言われます。
子どもが主体的にやろうとしない限り、やらされているのですから。


子どもが主体的にやる(やらせる)のが難しいのですが、やらないと自分が困るという体験をすれば、やるのですが。

困らないようにと、親がやってしまうので本当に困らないのです。

ニートの半分は、親の責任だと私は思います。
何故なら、親がすべてやってしまうので、自分のやることがなくなり、自分のいる意味が不安定になり、心が崩れるのです。
親がすべてやってしまうということは、信頼されていないと感じるのです。


親がすべてやってしまうのは、子どもを信頼していないと、思われるのです。

そんなことはない!と、親は思います。
そんなこと思うなら、もっと食いついて来てやれば良いじゃない!と。

それができないから、心を閉ざすのです。


もしくは、親のいう通りになんてやってやるもんか!と反発して、子どもの思い通りにしてきて、親とぶつかります。

その場合、[食いついて来てやれば良い]と言った親は急に、やり方が違う!と怒り始めるのです。


親は親のいう通りやるのが好みなのです。


例えば、子どものやらなければいけないことが、子ども自身のことで親がその結末に関わりがない場合は、手も口も出さずに、見守ります。
やらなかった結果、困った時にやらなくてはと思うまで。(親は結構辛いですが、それが子どものためです)

例えば、結末が親に関わることであれば、親が困ることを伝えるのはもちろんのこと(親は何故か伝えないことが多いです)、やり直しなども含め最後まで責任を持ってもらうように促します。
大概の親は、伝えず責任を引き受けてしまいます。
それでは子どもはエスパーじゃない限り、わからないですよね。

それで後で文句を言われても(言われなくても)、なんの事やらわからないし、やってくれたなら良いじゃない?と考えてしまいますよね?


これ、小さい時に体験していないと、親はしんどいです。

だからと言って、タイムマシンで過去には戻れません。

それならどうするか?
今から実践するしかないのです。


たまに、小さい時に知っていれば…とおっしゃる親御さんがいらして、もう無理だわ~と。

幼児の頃に知っていれば…
幼稚園入った頃に知っていれば…
せめて小学校の頃に知っていれば…

なんて言っていて、今を変えない。
子どもが中学生や高校生や大学生であっても、今日が一番若い時なのです。その後は未来なのです。

今、親が困っているなら、今、やり方を変えないと一生このまま文句(愚痴)を言い続けることになるのです。

あの時やっていればが、今なのです。


親が何でもやってしまうのを、やらないと決めてそれを遂行(やる)のは今です。

それをやるかやらないかは、親次第です。

その結末は親にかえってきます。

未来を見ながら、今を生きましょう