ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

子育てって、子どもを育てるだけって思っていませんか?

10年ほど前、息子の中学校にて[不登校の会]という集まりがありまして、発達の凸凹(発達特性の偏り)も学べるとのことで、同級生ママの誘いで出席してみたことがある。

うちの息子は不登校でも発達特性が悪目立ちするわけでもなかったのだが、学びの場なので通っていた。


だいたいが母親が我が子を思い、出席していたのだが、たまに父親が出席することもあった。

そこで、たまたまご一緒した父親が、「我が子がなんであんな態度でいるのか腹が立っていたが、ここに出席するようになり、話を聞いているうちに、子どもを客観視するようにできたら、部下の若者まで客観視できるようになった。今までは、最近の若い奴はさっぱりわからん!と息子と同じに、腹が立って怒鳴っていたが、こちらが余裕を持って相手を理解できるようになったら、どう接してどう話せば相手に理解してもらえるのか考えるなら、相互関係が良くなり、怒鳴ることが減ったんですよ。来月から、私は転勤で遠くに行くのでここに参加できずに、代わりに母親が来ますが、もっと勉強したいと思いました」とおっしゃっていらしたのが思い出されます。


実は、その母親といわれる方が、私がここで勉強するより、父親にここで勉強させなければ、我が子と父親の関係が修復できない!と、ノイローゼを装いピンチヒッターとして父親を送り込んで、その場にいた母親達の連携プレーで、その父親が開眼したんだけどね。

みんな、うちの子の父親も勉強して欲しいけど、ピンチヒッターとしても、参加拒否なのよ~と嘆いていた。(我が家は、私が勉強したことを夫に報告して、協力体制ができていたので、大丈夫でした)


発達特性の凸凹は、すべての人が多かれ少なかれあるのだが、それを認めたくない親は、そこに来ることを拒んでいた。

または逆に、その凸凹を大袈裟にどうすれば良いのか治るのか治すにはどうすれば良いのかわめき出す親もいた。


その頃の不登校の子は、その凸凹と周りをどう融合すれば良いのかわからず疲弊して、疲れて起こる場合もあり、多数いた。

それを理解しないで大騒ぎする親もいた。


あれから10年ほど経っているが、不登校からの引きこもり問題は、そんなに解決してはいないだろう。


中高一貫校だったので、6年間勉強させてもらったけど、継続して参加していたのは私くらいで、ちょろっと来て来なくなったり、通っているけど全然子どもを理解しようとせず、自分(親側)の主張ばかりでいつも喧嘩ごしだったり、困ったふりしているだけで何に困っているか全く理解しようとしてなかったり。

子ども(相手)を理解しようとせず、子どもを(自分の都合のいいこに)変えようとばかりしていたり。


中学生の親になって、子どもを理解していない、しようとしないのは、キツイなぁと思ってしまった。

キツイのは親もだけれど、子どもが一番キツイだろうと。


そこである親が「うちの子は人の気持ちを理解しようとしない。どうすれば良いのか」と質問していたのだけれど、例がたくさん出るけど必ず「どうしてあなたはいつも相手の気持ちになれないの?!」と責め立ているので、聞いている私は居たたまれなくなった。
そこで「あなたは子どもに相手の気持ちになれと責め立てているけど、その時の責め立てられた子どもの気持ちになったことがあるのですか?」と聞いてしまった。

私はお子さんの気持ちになったら居たたまれないです、つらいですと。



中学校高校で悩む親は、今まではほぼほぼ親のいう通りに育って来たのに、最近何を考えているのかわからなくて………という。

それは、それまで子どもを理解しようとせず、子どもに親を理解させてきただけだからでは?と思ってしまった。



先ほど書いた父親も、会社の部下を理解しようとし始めたら、怒鳴る事が無くなってきたということは、

相手を理解していなかったのは、誰なのか?

の答えでは無いだろうか?


家庭は小さな社会である。


巧く回していくのに必要なのは、まず自分が相手を理解するところから、

なのではないだろうか?