ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

泣く子ども 泣かせる親?

赤ちゃんの頃は、寝る・飲む・出す・泣くです。

そこから、親と何らかのコミュニケーションをとっていき、泣く=不快
が何なのか推測しながら、ドンドン意志疎通していく。


言葉を獲得できたら、泣くよりも有効手段として、自分の気持ちを言葉にすることを教えると、泣かずに言葉で伝えてくるので、とても楽にコミュニケーションがとれる。



私はそうして息子を育てたので、どこか出掛けて、泣いて困った事はほとんど無い。
まだ言葉を話す前に見に行った何かの舞台で、真っ暗になった時に泣いてしまって、すぐ席を後にしたくらい。


息子もそれが当たり前のように育った。

ファミレスなどでは、私の膝の上に座り、ご飯を食べて、おとなしかった。
店内を走り回ったり奇声を発したりもしなかった。



高校生になり、授業で子育て(?)の話しになった時、「泣きわめく子どもはしつけてから公共施設に連れてこい」と発言して、教員と女子から「キミも子どもの頃には泣きわめいていたはず!そんなこと言うな!親に聞いてみろ!」と言われたと。

確かにキミは泣きわめいていない。何故ならそのように育てたからだ。
しかし、それを誰かに強要してはいけない。キミの子どもが産まれたら、キミが泣かさないように育てれば良いのだ。嫁に強要するな。

と、私は言った。


子どもとどこかに出掛けたら、泣きわめく前に……いや、出掛けている間中、子どもがどう感じているかを察知していれば、泣く前に何かできるのだ。が、慣れないとかなり難しい。



そういう私は、友達の誕生日パーティーに生まれたての息子と夫と参加したとき、泣き止まずとても困った経験がある。

その時の私は息子の様子に細心の注意を払っているようで《子どもの事を第一に考えている母親》と思われたいと思っていたような気がする。

泣き止まない息子と格闘するが、どうにも泣き止まないので、《早く泣き止ませないと!》と思っていたであろう。

そんな私を思って、夫が代わりに抱っこをし、少し外に連れていって、寝かせて帰ってきた。

周りの人々は「眠かったのね~」であった。

私は、勝手に《母親失格》と自分に烙印を押した。


そして、振り返って自分を観察したら、息子をどうにかする自分に注目していた事に気づいたのである。


そこから、自分がどうこう言われるとか見られるとかよりも、息子の気持ちを察することに専念したのだ。




我が子だけではなく、そこにいる子どもの気持ちを察することに専念すると、ほぼほぼなんとなくわかることがある。

子どもがわけもわからず泣き始める時は、自分に注目されていないと感じた時なのだ。


注目しているようで、おざなりにウンウンと生返事していたりするのだ。



肌を放し、手を放し、目を放しても心は放すなとは、そういうこと。


肌が離れていなくとも、手を繋いでいても、目はスマホ、心は?

それじゃ泣くよね。


心を放さず育てた子どもは、思春期有れど反抗期は軽い。


子育て期間は永遠ではないので、楽しみながらやりきりましょう。