「かまってちゃん」と言う言葉、そう呼ばれる人がいるのを知っていますか?
誰かの気を引こうとするあまりに、わざと怒られるようなことをしたり、困らせることをするコトや人をかまってちゃんと言うようです。
これ、子どもの時に親がどう関わってきたかで現れるのではないかと思うのです。
親がいつも「この子は何でこうなんだろう?もう疲れた」と思うような子どもがいたとします。
その子は親にどう見られたいのでしょうか?
怒らせても・困らせても、自分を見てほしいのですよね。
これは何故でしょう?
良いことをしても、頑張っても「できて当たり前」と、それこそかまってもらえないからです。
ではどうすれば良いのでしょう?
良いことをしたら「素敵!」と声を出して伝える
頑張ったら「頑張ったね!」と声を出して伝える
これだけです。
当たり前は、自分で言うだけです。
誰かが、誰かに言う言葉ではありません。
じゃあ褒めれば良いかと言うと、これまた違うのです。
褒めるにも間違った褒め方があり「次もこうしてね」という親の腹積もりの褒め方をすると、子どもはその腹積もりを透かし取り、辟易します。
辟易した後は、それでもかまってくれるからと頑張りすぎたりするか、本当の私を見て!と怒られる方向に行くかです。
どちらも、やりすぎると精神を病んでしまっているかもしれません。
怒られるか困らせるかの究極では、「私、もうダメかも……。」などと、相手を縛り付けることを言い出します。
こうなった大人は素人には治せません。
こういう大人に育てないように、子どもを見守りましょう。