親の学歴を子どもが越えることを好まない親がいたとします。
それは、親が中学卒だったら、子どもが高校に行くことを拒むということです。
反対に、親の学歴と同じかそれ以上しか許さない親がいたとします。
それは、親が○○大学だから、そこか、それ以上でなければ許さないということです。
これは、親が自分を基準にしているのですが、何故、自分を基準にするのでしょう?
子どもが歩む人生の基準が親であることの、どこに良さがあるでしょう?
もし、中学卒の親が、子どもを思い、子どもが行きたいように高校も大学も行かせられる場合は親が基準でしょうか?
もし、○○大学卒業の親が、小学校で不登校になった我が子に一番ふさわしい人生の道を模索して、アーティストやクリエイターなど、手に職をつけることで中学に行かずとも、食べていけることを考えた時、親の基準は?
子どもが主役の子どもの人生、親の出る幕はただひたすらに裏方です。
親は親の人生の主役を張れば良いのです。
あなたはあなたの人生を。
子どもは子どもの人生を。
それぞれに、共に、
同時に、別々に、
生きているのです。
子どもの人生が健やかなるものに、見守りたまに手を貸すくらいがちょうど良いのです。
そう心に止めていても、ついつい口を出し手を出すのが親なのです。
何かある度に、おっとどっこい出しすぎた!と、引っ込めましょう。
出しすぎて良いことなんてひとつもないですよ。