ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

親離れ 子離れ

子どもは案外ぽろっと親から離れていく

 

親は覚悟を持たないと子離れし難い

もしくは、親の自覚がなく子どもを放置して、子離れではない状態になる

 

 

子どもは親より成長が早い

親は時に子どもより子どものままである

 

 

親が成長しないと、子どもが1人でもがくことになる

 

子どもの成長を願うなら、親が成長しなければならない

 

 

子どもが調子に乗りすぎると…

たまに「ちょっと褒めると調子に乗るから」と我が子をいつもこき下ろすだけで、褒めない親御さんがいらっしゃいます。

 

調子に乗ったら、何が悪いのでしょう?

 

お母さんが怒ったときに「でもボクは(お母さんにとって)かわいいでしょう?!」と言われて、ガックリしたと、言ったお母さんがいらっしゃいました。

「ウンウン、(お母さんにとって)かわいいけどね、これはダメでしょう?」と続けたそうです。

 

これが調子に乗っているのでしょうか?違いますよね?

 

親に(誰かに)怒られて、嫌われてしまったと思う場合、怒られている内容ではなく <嫌われてしまう> 事に気を取られて、親に気に入られようとするだけです。

 

 

調子に乗って悪いのは、面白がって余計なことを言ったりやったりすることです。

 

誰かが子どもを褒めたとき、親が謙遜して「そんなことないですよ~この前なんか……(子どもの失敗を言う)」と言うことありますよね?

それと同じように「この前ママがね~」と話してウケたから、調子に乗っていろいろしゃべったり誇張したりします。

 

 

褒めて調子に乗る事は、無いか良い方向です。

 

調子に乗って悪いのは、親の真似をしている時です。

または、なにかストレスがある時です。

 

自分を振り返りましょう。

ストレスを抱えていないか注意深く観察しましょう。

 

 

 

 

 

命を守るのは自分

まず自分の命を守ること。

 

みんながみんな、自分で自分の命を守れば、みんな助かる。

 

誰かに助けてもらおうとすれば、その誰かも巻き込んで危険になる。

 

自力でとにかく助かろうとしてみよう。

 

 

誰かが自分を見捨てて助かって行くのを恨むのではなく、

誰かを見捨てて自分だけ助かるのではなく、

 

自分の命を諦めるのではなく、

誰かの命を諦めるのではなく、

 

まず自分の命を助け、それから一緒に助かろう!と励まして、自分で助かってもらおう。

 

 

誰かに助けてもらった命でも、助けてくれた人が命を落としていたら後悔するそうです。

 

助けるなら一緒に助かりましょう。

 

 

メリット デメリット

子どもを育てていると、役員というモノが降りかかります。

 

早ければ、(保育・幼稚)園から、小学校に入ればPTAが六年間のうちに一回は…委員ではなく係という名前でとかも…

もしかすると、町内会や自治会のこども会とかも。

 

今も昔も、忙しい親御さんは「私は○○でできません!」とキッパリと言います。

 

でも、それ以上忙しい親御さんは、時間をやりくりしてサッサッとやりこなす人もいます。

 

この差はなんだろうと思っていたのですが、最近わかったことがあります。

 

やらない人は「やることにメリットが無い」と思っている。

やる人は「やりこなして自分で自分のメリットにする」と無自覚に思っている。

 

やらない人は「忙しいのに時間の無駄!デメリットでしかない」と思っている。

やる人は「忙しいからサッサと終わらせよう」と無自覚に時間を無駄にしない。

 

 

やらない人は自分のメリットデメリットを誰かに与えられると思っているのだろうか?

 

やる人は自分のメリットデメリットなど考える間に、自分でサッサと自分の人生のメリットにしてしまう。

 

何だかんだとグチグチ言う暇あるなら、サッサと片付けてしまえば終わるのだ。

 

 

会議が長くてその時間が無駄ならば、提案してしまう。

係決めがなかなか決まらないなら、どうすれば良いか考える。

 

 

それができないからやらないのであれば、家庭内の人間関係も滞っているのは自分のそういうとこだと自覚しよう。

 

役員を何度も練習していけば、家庭内もサッサと片付けられる。

 

 

まぁ、独裁的な人がいるとままならないし、自分が独裁者になってしまわないかのチェックは重要ですが。

 

 

 

4月になれば、役員が回って来て憂鬱な人は、自分の練習だ!って、考えてみるのはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

悪口の心配をされました

下校中の子ども達がいました。

 

1年生らしき男の子と、同級生?上級生?ちょっと大きいので2年か発育が良い1年生?の3人。

なにやら1年生らしき子に絡んでいるようす。

 

「どうしました?大丈夫ですか?」と声を掛けました。

 

すると1人のリーダー的な上級生っぽい子が「うるせぇよ!ババァは黙ってろ!」ですって。

 

「うーん。この子(1年生)が心配だから黙っていられないかな。この辺だから○○小学校だよね?校長先生って誰だっけ?君たちは、何年生?担任の先生は何先生?そして、その発言だけでも担任の先生に話した方がいいかなぁ」と言うと、リーダーと子分の3人が「ババァはあっち行ってろ!ブス!○ね!バカ!デブ!」ですって。

 

なので、1年生に「君の担任は何先生?」と聞きました。

 

リーダーは「言うな!」

 

なので、「君たちが担任の名前を言わなくても、校長先生に話せば、すぐにわかるからいいや」と。

 

すると、3人は「ブース!」「○ね!」「デブ!」「ババァ!」とそれぞれが思い思いに罵詈雑言を叫びながら、走り去りました。

 

1年生らしき子は、「(おばちゃん)大丈夫?」と私を見ます。

「え?なんで?」と聞くと「○○くんたち、バカとか…(小声になって聞き取れない)」あぁこの子も言われてるんだなぁと思いながら、「心配してくれたの?ありがとう。でも大丈夫だよ。私はそんなこと言われても(私は)違うと思っているから」 と言ったら、考え込んでから「良いこと教えてくれた!ボクもそう思えば良いんだね!」と。

 

「キミは素晴らしい子だよ。私を心配してくれる心を持てる子だもん。素敵だよ!」と言うととてもニコニコ。

 

学校に言っとく?と聞くの忘れて、パイパイしてしまった。

 

 

 

あの子はもう大丈夫だと信じたい。

 

 

 

 

喜怒哀楽

人間の感情には喜怒哀楽がありますが、ともすると<忌怒哀落苦>…忌まわしく怒ってばかりで哀しくて落ちこみ苦しい…になるときがあります。

 

親になり立ての時は、本当に思うようにできなくて、相手(子ども)はこちらに忖度など全くしてこないので、本当にイライラしてしまうことがあるのです。

 

よく、「今が一番かわいい時ね」と子どもを見て言う他人がいます。

そして、「今が過ぎれば楽になるから頑張って!」とも。

 

他人が言うのは勝手です。

 

子どもはいくつになっても、ずっとずーっと可愛いし、いくつになっても別の意味で大変です。

 

大変なところにフォーカスするか、可愛いところにフォーカスするかで、親の心の余裕が変わるのです。

 

喜怒哀楽…喜び怒り、哀しみもあり楽しみもあるのです。

 

<きっと愛LUCKY>にできるのは、親の心持ちひとつです。

 

ツラい(辛い)をカライ(辛い)スパイスとして、「今、何カラを味わってるのかな?」なんて、カレーライスを想像してみましょうよ。

 

他人がなんか言ってきたら、心の中で「激辛スパイス、キター!」って叫びましょう。

 

 

あなたが、アナタ自身と子どもの元気の源だということを忘れないで。

そして、あなたの元気の源を枯らさないように、鏡に笑顔で言いましょう。

私は、きっと愛LUCKY!って。

 

 

シンプル イズ ベスト

多様化多様化と、ちまたでは騒がれていますが、子どもはいつでもシンプルです。

 

親はアレコレ考えてしまいますが、どうしてほしいのかを伝えるためには「こうしてほしい」だけを伝えれば良いのです。

 

そして「あなたが大好き」と、伝えるのです。

 

家庭内のルールは、シンプルな方がいい。

 

ある家庭は「親より長生きする」だけでした。

怪我をしても、命に別状がなければ、顔に傷が多少ついてても「良かった~」と、抱き締めていたそうです。

 

その子は成長して、少々危険が伴う就職先で1人暮らしですが、「ブラックだと判断したら帰っておいで」と送り出したそうです。

 

 

親になると本当にアレコレと、子どもに対して要求してしまうものです。

あぁなってほしい

こうなってほしい

 

でもそれは、親の要求であり、子どもには負担かもしれないのです。

 

子どもには子どもの人生があるのです。

親の人生の欲求を押し付けてはなりません。

例えあなたがアナタの親またはパートナーの親からの人生の欲求を押し付けられていてもです。

押し付けられて、受け入れたのなら、押し戻すのも逃げるのもアナタの人生です。

そして、アナタが我が子に負担をかけなければ、のびのび育ち感謝を伝えてくるでしょう。

 

 

シンプルに育てれば、その分たくさんの愛を感じて育つでしょう。

 

 

我が子は愛の結晶です。

(そう思えなければ、一旦誰かに預けてみましょう)