ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

子どもの資質 親の資質

親の方が大人なのに、何故子どもを理解できないのでしょう?

 

何故、子どもに大人を理解させることを優先させるのでしょう?

 

何故子どもの気持ちを理解しようとしないのでしょう?

 

子どもが言うこと聞かないのは、子どもが親に言うこと聞いてもらえないからです。

 

子どもは親の鏡です。

 

子どもを見ていると、自分が必ず見えますよ。

 

 

 

 

子どもを信じていますか?

ある中高生何人かと話したことがあるのだけれど、大人はどこまで子どもを許してくれるかわからないから、ビクビクしていると感じた。

 

どうやらその子達の親は、話を聞いてくれるということで、家族の話しになると饒舌になる。

 

ということは、親はその子達をそれぞれ信じているのだと感じられる。

 

大人が信じられないと言う中高生は、大人に信じてもらえていないと感じているのだと思う。

 

 

あなたは、我が子を信じていますか?

そして、近所の子ども達はどこまで信じられますか?

 

近所の子達を信じられると、その子の親達もあなたの子を信じてくれて、子どもの味方が増えるのでは?

 

信じる = 味方

と、考えてみましょう。

 

 

 

 

謝りすぎる親の子どもは親を責める

昨日、謝れない子どもと親のことを書きました。

 

逆にすぐに「ごめんね~」と言う親もいる。

 

子どもが机の上のお茶をこぼしてしまったとき、「こんなとこに置いたからだね~ごめんね~」と。

すると、謝る子どもになるのでしょうか?

 

もしかすると、全てを親のせいにして、「ココに置くからだよ!ボク(ワタシ)は悪くない!」と言う子に育つかも?

 

 

そういう場合、良く考えてほしい。

 

ココに置いたから引っ掻けてこぼしたなら、誰も悪くない。

その場合、謝罪より工夫ではないでしょうか?

 

ココに置いたから引っ掻けてしまったね。じゃあどうしようか?

 

 

子どもは、親でも大人でも、友達でも、自分が良いと思った人を真似します。

それが正しいかどうかではないのです。

 

我が子がどういうことに興味を持つかを知れば、親がどうすれば良いかが導かれます。

 

謝らない親を見ていれば謝らない。

謝りすぎる親を見ていても、謝らない。

 

やはり、謝るタイミングがあるのだと思います。

 

子どもと一緒にそのポイントを探してみませんか?

 

 

謝れない子どもの親も謝れない

よく、ごめんなさいを言わなくてはならない時に、だってだってと言う子がいます。

 

その親に会うと、明らかに子どもが正しくて、親が間違っていても何故か論点ずらしてでも、子どもに謝らず黙らせています。

 

大人でも、そういうことをしていると、信用を失うのですが、それを真似している子どもはどうでしょう?

 

だいたいですが、上記の親が本当に親が正しくて子どもが謝らなくてはならない時に、キレ気味に「何度言ったらわかるの!謝りなさい!」とか怒鳴ってますよね。

 

大人はもうどうにもならないけど、子どもは《 大人の謝ることのかっこ良さ 》を知れば、すぐに謝ることができます。

 

 

もし、あなたが謝ることができないのなら、子どものためにかっこ良く謝る大人の背中を見せましょう。

 

 

親の知能と考えで子どもの人生が決まる?

親の学歴を子どもが越えることを好まない親がいたとします。

それは、親が中学卒だったら、子どもが高校に行くことを拒むということです。

 

反対に、親の学歴と同じかそれ以上しか許さない親がいたとします。

それは、親が○○大学だから、そこか、それ以上でなければ許さないということです。

 

 

これは、親が自分を基準にしているのですが、何故、自分を基準にするのでしょう?

 

子どもが歩む人生の基準が親であることの、どこに良さがあるでしょう?

 

 

もし、中学卒の親が、子どもを思い、子どもが行きたいように高校も大学も行かせられる場合は親が基準でしょうか?

 

もし、○○大学卒業の親が、小学校で不登校になった我が子に一番ふさわしい人生の道を模索して、アーティストやクリエイターなど、手に職をつけることで中学に行かずとも、食べていけることを考えた時、親の基準は?

 

子どもが主役の子どもの人生、親の出る幕はただひたすらに裏方です。

 

親は親の人生の主役を張れば良いのです。

 

あなたはあなたの人生を。

子どもは子どもの人生を。

それぞれに、共に、

同時に、別々に、

生きているのです。

 

 

子どもの人生が健やかなるものに、見守りたまに手を貸すくらいがちょうど良いのです。

 

そう心に止めていても、ついつい口を出し手を出すのが親なのです。

 

何かある度に、おっとどっこい出しすぎた!と、引っ込めましょう。

 

出しすぎて良いことなんてひとつもないですよ。

 

 

子どもの考えを聞く前にサッサと行動する親

ある親子に会って、いろいろ話していたら、子どもを心配するあまりに、いろいろ口出しし、良かれと思って手も出すと親が言い、子どもがちょっと待ってと言おうものなら、文句を言うそうで……。

 

コレ、客観的に聞いていると、え~そんなの子どもにやらせれば良いのに~なんて言う人いますが、けっこう我が子にはやってるんですよ。

 

人のふり見て我がふり直せ

 

子どもがやること・考えることを大事に最後まで聞きましょう。