ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

育てる

花の好きな人に、花を育てるコツを聞いたら、「基本は、水を与える・こまめに花がらを摘む・切り戻すの3つ」とのことでした。


ふと、子どもを育てるのに当てはめてみて考えてみました。

食事を取ること。
後の2つは、フォローすることでしょうか?


盆栽などは、成長を抑制したり矯正したり、親の思うように育てたいとすることと同じでしょうか?


植物ではなく、ペットではどうでしょう?


最近はペットを「うちの子」として育てている方を見受けます。


しかし、可愛いから・欲しがるからとエサをあげすぎて肥満になっているのはどうでしょう?


何を育てるにしても、相手をよく観察して、育てていれば良いでしょう。

こちらの育てたいように育てて良いのは、盆栽くらいでしょう。

盆栽が話せたら、感謝してくれるでしょうか?



子どもの意思表示を見逃さず、心地よい関係で親子関係が持てると良いですね。

うちの子 天才! うちの子 変?

親は子どもが小さい時に、思うことは複雑です。


うちの子、天才じゃない?と思ったり、うちの子なんか変じゃない?と思ったり、子どもに普通を強要したり、トップを目指させたり、、、。


よくある話ですが、
エジソンは、小学校で先生に「この子は変ですよ」と言われて、教師であった親が自宅で勉強を教え、才能を伸ばしたと言われています。


今、日本で不登校の子どもはたくさんいます。

ただ、学校に行かないことで引きこもってネガティブな生活になるか、学校に行かずとも場所が学校でなくとも、勉学はやり続け、やらなくてはならないことは少しずつできるようになるのか、やりたいことだけやって、やりたくないことはやらないのかでは、違ってきます。



親の思いを押し付けないようにしながら、フォローと見守りを。


人間は多分、持っているもの(チカラ)は、みな同じ容量で、何かがものすごく得意だと、何らかがものすごく不得意なんだと思うのです。


前も書いたかと思いますが、自分は何でもできるパーフェクトだと言い張る人は、誰か(我が子)ができない事を認めることができませんでした。



子どもが幸せに育って欲しければ、子どもの幸せを探してもらいましょう。


自分自身の幸せは自分自身で掴み取りましょう。

子どもの話が理解できない?

たまに、子どもの話していることが良くわからなくて、理解しようと思って何度も質問したりしていると怒り出して、話してくれなくなるということがあります。


それは何故でしょう?


まず、子どもが話している時は《話を聞いて欲しい》という気持ちがあります。
その時に、質問で途切れることにイライラすると終わらせてしまうのです。

それから、その質問が子どもが話したいことの本質なのかでまた違ってきます。


例えば、
子どもが話したいことが、今日自分が楽しく遊んだことの気持ちだった場合、
質問が「何で遊んだのか」「誰と遊んだのか」「どこで遊んだのか」などだったら、子どもはどう思うでしょうか?

子どもは、そごじゃない!と思うのではないでしょうか?


親は、例えば、いつどこで誰とどうやってなどとが気になっていたら、そこを聞きたくなるのでしょうが、子どもはそんなところはどうでも良いのです。


ならばどうすれば良いのか?


とにかくまず、「ウンウン」と真剣に聞けば良いのです。
その時に、スマホを見たり、他の事を考えたら、直ぐにわかります。

とにかく聞くのです。



これには少し、コツがあります。

例えば、
楽しそうに話していたら、「楽しかったんだなぁ」と思いながら、その表情をニコニコして楽しむとか、
悔しそうに話していたら、「悔しかったんだなぁ」とその悔しさを今、乗り越えようとしているんだなぁとか、
悲しそうに話していたら、「それを乗り越えて、この子は育って行くのだなぁ」と感慨深く慈しみながらとか、


話の内容を聞くばかりに、話したいことが話せない状態にならないように。


子どもが子どものうちに、子どもの話をそのように聞けていたら、困った時に相談としていろいろ話してくれるようになります。


子どもの話を聞きましょう。


それと同時にパートナーの話も聞けたら、子どもが自立して独立した後、とても仲良く過ごせるパートナーとなるでしょう。


その他の人の話を聞ける人になるのも、素晴らしいですよ。

本質を見極める

子どもが学校(園)に行きたくない!と朝言い出したら、どうしますか?

お腹痛いとか、気持ち悪いとか………


最近では、いじめ?!って思ってしまうかも。


そうなると、うちの子を守らなくては!スイッチが入る親御さんが普通ですが、その瞬間にフッと冷静になれると良いですね。


そして、行きたくない気持ちを受け止めてから、聞けたら理由を聞けると良いですね。



親が「いじめなのか?」などと考えていると、ドンドン妄想で悪いことばかりが頭に浮かびます、

でも、真実は全然違うかもしれません。


心をフラットに保って、冷静に理由を最後まで聞きましょう。


そうすれば、本質を見極めることもできるのです。


落ち着いて。

ダメにするのは誰?

ある母親が「男の子をダメにするのは母親なのよ!せっかく自立させようと、海外留学させたのに、そろそろ○○の時間だって電話しちゃうのよ!それがダメにするのを知っているのに!やっちゃうのよ私が!心配して!」みたいなことを言っているのを聞いたのです。

それを聞いて私は、母親あるあるなのだけど、気をつけていても《やっちゃうのよ》と言っている母親は、まだましだと思うのです。

それさえも気づかず、いや、本気でそれが良いと信じて(子どもができないから私が面倒をみないとと信じて)やっている母親は息子をダメにしていると自覚していません。


ダメになるかならないかは、息子の個性・性格・人格によるのですが、ほぼほぼ強い母親の思いに共鳴してしまう息子は、共依存となると思うのです。

お互いに相手や相手の状態に依存してしまうのです。
母親はできない息子の世話を焼くという状態に依存。
息子は、できないと言われ続けられて、できないと洗脳された状態に陥り、母親に依存。



それは母親と息子だけの問題でしょうか?

父親(夫)とその親(姑)との関係は?


夫がそのような状態であるのは、いわゆる [マザコン] の一種です。極度のマザコンだと私は思うのです。


そんな夫と結婚した妻が育てる息子に、更なる極度のマザコンも生まれます。
ただし、まったくマザコンではない夫だとしても、妻との関係がうまくいかない場合にもマザコン息子になる場合があります。


私のみてきた30年間の親子関係で、夫婦仲の良い子どもがマザコンになる率は低いものでした。

妻が、夫が一番手のかかる長男なのよ!と愚痴るような夫婦仲の場合が夫に愛想を尽かせマザコンに育てやすいのです。(私見です)


というところで、最初の母親の《やっちゃうのよ》発言に戻って考えてみましょう。

私は [母親あるある] と、書きました。
実は母親は、これを男の子にも女の子にもやってしまうのです。

しかし、子どもが母親をみていて、それを心地よいと感じるかどうかで違ってくるのです。
同じように母親に共鳴してしまえば、女の子でも男の子でも共依存になります。
私だけの可愛い子どもと一心同体のように強くして共鳴してしまえばです。

しかし、親が自立していれば、私は私、子どもは子どもとお互いが《今は一緒だけど、お互いは別々の人生である》とわかっていれば、共鳴しても《別々の人生》となるのです。


母親だけが悪いわけではない。
そのパートナーが、夫婦関係を良くしていれば、避けられる事なのだけど、運悪くパートナーがマザコンであったら、連鎖してしまうかもしれない。


もちろん、そんなときでも頑張ればうまくはいきます。上記のように《やっちゃうのよ》と自覚するだけでも全然違うのです。

頑張らない人は無意識、いやむしろ積極的に《やっちゃって》マザコンが心地よいようにしているのです。



これが脈々と連鎖していることに気づかずに。



うちは女の子だからと安心してても、ココまで読んでくださった方は、娘の産んだ男の子(孫)がそう育たないように、気をつけてくださいね。

知らず知らず脈々と連鎖しようとなるのが、この [誰も悪くない連鎖(良かれと思って)] なのです。


まず、親が早いうちに自立しましょう。
子離れすることです。
もちろんお世話はしなければなりませんが、余計なお世話は要らないのです。子どもを信じて任せるのです。

そして、パートナーと共に、または、自分だけの人生を謳歌しましょう。

子どもは子どもの人生を謳歌するものなのです。

そうすれば、たまにリンクしたりできてより楽しく謳歌できるのです。


誰も誰かをダメにしたいわけではありません。
しかし、ふと依存しようとしてしまうと共倒れになりそうで、共依存になるのです。

自分の人生は、自らの足でスクッと立ち謳歌しましょう。

あなたの人生は素晴らしいのだから。

協調性ってなんだろう?と思ったこと

ある子どもたち(小学低学年くらい)が公園にいました。

5~6人でしょうか。


ある子どもがかくれんぼしよう!と言い、もう1人が鬼ごっこしようと言いました。

残りの子どもが鬼ごっこに賛成して鬼ごっこが始まりました。


楽しく鬼ごっこが終わり、みんなで水を飲み、さっきの子が今度はかくれんぼしようとまた言いました。


違う子がブランコしよう!と走りだし、みんながわぁ~っとブランコに行きました。


かくれんぼの子は、ちょっと不満そうな顔をして、ブランコに歩いて行って、その後は滑り台→ジャングルジムと移動してみんなと遊んでいました。(滑り台からは笑っていたので、楽しく遊んでいたと思いますが)


帰りも「バイバイ~」と笑顔で走って行ったので、気にしないタイプか溜め込むタイプのどちらかでしょう。


子どもによっては、かくれんぼ!かくれんぼ!!かくれんぼやろうよ~~!!と大声でわめき始める子どももいます。


5~6人くらいいると、ひとつの事に決まるのには、何人かの気持ちを納めないといけなかったりするんですよ。

その時に、より良く選択肢に食いつけるか、何とか譲れるか、我慢できるか、それとも上記のように我を通すか。


そういうのをみたり聞いたりすると、協調性ってなんだろうと思ってしまう。


かくれんぼと言ったその子だけが協調性を備えているのか?



小学低学年じゃ無理かもだけど、最初の時点で誰かが「じゃ、隠れ鬼にしようよ!」という発想をしてほしいんですね。

そういうのは、やはり親といる時にいろんな発想をしているかいないかで変わっていきます。

なるべく、自分も誰かも変に我慢させるのではない発想をする練習してみませんか?


親も結構、日々の人間関係の役に立ちますよ。
お試しあれ。

良かれと思って

人はみな、自分の思いが正しいと思って行動する。


子育てにおいても。


子どもの未来が素晴らしいものになるようにと。


例えば
学歴を高くしようとしたり
スポーツを頑張らせてみたり
音楽をできる環境にしたり

………。


子どもがそれに合っているかを考えているか?

親がさせたいからさせているだけか?


例えば
勉強が好きなタイプの子ども
野球が好きなタイプの子ども
ピアノが好きなタイプの子ども
料理が好きなタイプの子ども

そんな子どもたちに、それぞれ違うものを親が良かれと思って押し付けたら?

勉強好きなのに、運動しろと
野球が好きなのに、ピアノを弾けと
ピアノが好きなのに、料理をしろと
料理が好きなのに、勉強しろと


子どもが器用にこなせれば上手く行くでしょう。
子どもが親が喜ぶからと融通つけられるならば、上手く行くでしょう。
子どもがやりたいことと共通点を見いだしたら、上手く行くでしょう。

でも、子どもがやりたいことを優先したかったり、親のエゴを許せなかったりしたら、ものすごく反発するでしょう。


あなたは、そんな時、どう対処しますか?



自分の考えにしたがって、無理にでも子どもを矯正しますか?

自分の考えは自分のもので、子どもには子どもの考えがあると、ゆるっと見守れますか?


どっちが良いか考えてみてください。