ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

喜怒哀楽

人間の感情には喜怒哀楽がありますが、ともすると<忌怒哀落苦>…忌まわしく怒ってばかりで哀しくて落ちこみ苦しい…になるときがあります。

 

親になり立ての時は、本当に思うようにできなくて、相手(子ども)はこちらに忖度など全くしてこないので、本当にイライラしてしまうことがあるのです。

 

よく、「今が一番かわいい時ね」と子どもを見て言う他人がいます。

そして、「今が過ぎれば楽になるから頑張って!」とも。

 

他人が言うのは勝手です。

 

子どもはいくつになっても、ずっとずーっと可愛いし、いくつになっても別の意味で大変です。

 

大変なところにフォーカスするか、可愛いところにフォーカスするかで、親の心の余裕が変わるのです。

 

喜怒哀楽…喜び怒り、哀しみもあり楽しみもあるのです。

 

<きっと愛LUCKY>にできるのは、親の心持ちひとつです。

 

ツラい(辛い)をカライ(辛い)スパイスとして、「今、何カラを味わってるのかな?」なんて、カレーライスを想像してみましょうよ。

 

他人がなんか言ってきたら、心の中で「激辛スパイス、キター!」って叫びましょう。

 

 

あなたが、アナタ自身と子どもの元気の源だということを忘れないで。

そして、あなたの元気の源を枯らさないように、鏡に笑顔で言いましょう。

私は、きっと愛LUCKY!って。

 

 

シンプル イズ ベスト

多様化多様化と、ちまたでは騒がれていますが、子どもはいつでもシンプルです。

 

親はアレコレ考えてしまいますが、どうしてほしいのかを伝えるためには「こうしてほしい」だけを伝えれば良いのです。

 

そして「あなたが大好き」と、伝えるのです。

 

家庭内のルールは、シンプルな方がいい。

 

ある家庭は「親より長生きする」だけでした。

怪我をしても、命に別状がなければ、顔に傷が多少ついてても「良かった~」と、抱き締めていたそうです。

 

その子は成長して、少々危険が伴う就職先で1人暮らしですが、「ブラックだと判断したら帰っておいで」と送り出したそうです。

 

 

親になると本当にアレコレと、子どもに対して要求してしまうものです。

あぁなってほしい

こうなってほしい

 

でもそれは、親の要求であり、子どもには負担かもしれないのです。

 

子どもには子どもの人生があるのです。

親の人生の欲求を押し付けてはなりません。

例えあなたがアナタの親またはパートナーの親からの人生の欲求を押し付けられていてもです。

押し付けられて、受け入れたのなら、押し戻すのも逃げるのもアナタの人生です。

そして、アナタが我が子に負担をかけなければ、のびのび育ち感謝を伝えてくるでしょう。

 

 

シンプルに育てれば、その分たくさんの愛を感じて育つでしょう。

 

 

我が子は愛の結晶です。

(そう思えなければ、一旦誰かに預けてみましょう)

 

 

 

 

本に興味がない

あるお母さんは、自身は絵本が好きで家にたくさんあるけど、子どもが全く興味がないんですと嘆く。

 

いろいろ聞いてみると、絵を描くのが大好きで、世界観がしっかり作られていると言う。

 

そこでふと思い付いた。

 

同じ大きさの画用紙に何枚も描いてもらって、折って張り合わせて本にして、文も考えてもらって書いて、絵本にしてしまえば?

 

お母さんは、目をキラキラにして「やってみます!」

 

 

小さな絵本作家爆誕かな?

 

 

 

絵本を読まなくてはいけないの?

子どもに読み聞かせをすることに敏感な親は多いでしょう。

 

読まなくてはいけないと思う事は、ある意味、害であるのですが、読まなくてはいけない!と囚われるのです。

 

この読まなくてはいけない!の害は、子どもに聞かせなくてはいけない=子どもが聞かなくてはいけない、とにかく読まなくてはいけない=子どもの状態がどうであってもとにかく読む!

 

この害がわかりますか?

 

絵本を楽しく読む事ができてないと言うことが、一番の害です。

それなら読まなくても良いのです。

 

 

子どもがページをめくってしまって読めないのなら、字を読むのではなく、そのページの絵を読む(この花綺麗ね・くまさんがいるねなど)とか、どこが子どもの気になるところ(ページ)か観察したり、めくることが楽しいのかとか、物語(ファンタジー)なら聞くのか、図鑑(リアル)を眺めたいのか、自分の気になる事があれば読まれたいのか、我が子の絵本事情を観察しましょう。

 

親が読みたい本なのか、子どもが読まれたい本なのかで、違いますよね。

 

 

楽しく絵本を親が読んでいれば、子どもも絵本…ひいては本が好きになるのです。

 

 

絵本だけではなく、全てにおいて、親の好きなものを押し付けることが良くないのである。

 

 

 

子どもの会話

近所の公園で、小学生らしき子ども達が遊んでいた。

 

ベンチにいた私のすぐ横で、女の子達(三年生?四年生?の3人)がアレコレ喋り始めた。

 

私の事など気にも止めていない。

 

バレンタインがどうのこうの

親の愚痴

好きな男の子のどうのこうの

親への不満

チョコのどうのこうの

親の~

 

それぞれ口々に話したい事を止めどなく。

 

どうのこうのは、2人の会話。1人の子は親の事ばかり。後の2人は「あるある~!」と言いつつ別の話題へと。

 

親の愚痴や不満は、虐待ならば即座に会話に入らなくてはと思うのの、聞いていると「お母さん一生懸命だけど、あなたの感性と合わないのね~」と思うことばかり。

 

兄弟姉妹らしき名前を出して、その子への親の対応と自分への対応の違いや、同じにされてもまた不満(同じにされたいのに違う対応される。またはその逆)

とにかく、全てが逆のよう。

 

 

そして、最終的には2人がその子に「○○ちゃんの話、つまんない!」と行って走り去ってしまった。(2人はバレンタインや男の子の話で盛り上がりたい時期の様子)

 

1人取り残された子はため息をついていた。

 

 

「ゴメン、今のアナタの話、聞こえちゃってたんだけど、少ししゃべって良い?」と言うと驚きながら頷いた。

 

「アナタの心にある気持ちは、お母さんに正直に話したことある?」

首を降る

「アナタの心にある気持ちを正直にお母さんに話したら、アナタのお母さんならわかってくれると思うよ」

「えっ?そうなの?」

ニッコリ

「話してみようかな…」

ニッコリ「それと、さっきの女の子達は、アナタのお母さんの話題じゃなくて、アナタの好きな男の子の話がしたかったんじゃない?」

驚く

「好きな子いる?」

小さく頷く「でも内緒だから…誰にも言いたくない。○ちゃんと同じ子なの…」

「そっかぁ。じゃあ、聞くだけで良いんじゃない?わぁそうなんだ!へぇ~!良いなぁ!とか言うだけで。アナタは別の話題出そうとしてたんだね」

「うん…聞いてるだけも嫌なんだ…」

「そっかぁ」

「うん。○くん、とられちゃうし」

「そっかぁ」

「でも○くん、△ちゃんと付き合ってるんだけどね」

「えっ?」

「○ちゃんと付き合うとフリンなんだよ」

「んえっ?」

「フリンは嫌だから、○くんのこと好きなこと内緒なの」

「ふぇぇ~そうなんだ」

「おばちゃんありがとう。お母さんのことはお母さんに話してみる!○くんのことは○ちゃんと○ちゃんには内緒だよ!」

「OK!(ブログにはしちゃうけど許して!)」

 

バイバイ~と走り去る後ろ姿は弾んでいた。

 

 

 

 

子どもの目

ちょっと落ち着きの無い子どもがいた。

 

でも、とても頑張っていた。

 

しかし、ひとつやると落ち着かない。周りをキョロキョロして気を散らして、あっそうだこれやらなきゃと戻る。または誰かに指摘されて戻る。

 

なので、ひとつやり終わった後で「キミは、これをひとつやるとキョロキョロしちゃってるけど、ここまで終わらせてから、キョロキョロすれば早く終わるし素晴らしいよ。あ、キミはそのままでも素晴らしいんだけどね」と言ってみたことがある。

 

年長さんか1年生くらいの子だったのだけど、真っ直ぐ私を見て聞いてくれて、最後の「キミはそのままで素晴らしい」でびっくりしながら、嬉しそうに頷いてやることに向き合っていた。

 

 

そのままで素晴らしいと言われた時の、真っ直ぐな目はとても嬉しそうに私を見つめていた。

 

 

その言葉を胸に、くじけないで生きてほしい。

 

 

 

《叱る》を《注意する》に変換

あるお母さんが「うちの子(2歳)全然言うこと私の聞いてくれないんです!どうすれば良いですかっ?」と。

 

その子は机の上にいます。

 

お母さんは、「何回言えばわかるの!?登っちゃダメ!!」っと抱っこしておろします。

そして、「登ったらダメ!登らないの!」と。

 

しかし、すかさず登ります。そして満面の笑顔。

 

お母さんは、私にホラね。

 

私は、「降りて」と一言。

子どもは「?」

なので、もう一度「降りてくださ~い」

すると自分で降りて、私を見ます。私は「自分で降りられたね~。なにして遊ぶ?」

子どもは、キョロキョロして次の遊びに向かいました。

 

お母さんは、びっくり。「いつも何回も繰り返して、私がキレてしまうんです」と。

私が「今は自分で降りて、違う遊びをしてますよね?いつもは登れば、お母さんに抱っこしてもらえる遊びになってるから、繰り返すのではないですか?」

お母さんびっくり。

 

 

 

違う場面で、「道を歩いていると、サッと手を離して角を曲がるんです」と。なんと声掛けしますか?と聞くと「そこ!曲がらないの!と言います」と。

その道に行くところで私が「真っ直ぐ行って!」と声掛けすると真っ直ぐ行ったところで、振り向いてニコニコ。

追いついたところで、子どもに私が「お母さんを連れていってあげないと、《お 母 さ ん》が迷子になっちゃうよ~」って言うと慌ててお母さんの手を握ります。そして「こっちダよ!」と。(お母さんびっくり、私は笑いを堪える)

 

 

読んでいる方、わかりますか?

 

登ってはいけない

降りて

の違い。

 

登るのが好きなのか、登ったら抱っこしておろされるのが好きなのか。

 

前者なら「降りて」の後にもすかさず登ります。

こういう場合は「なぜ山に登るのか?」に「そこに山があるから」と言う登山家魂があります。

その場合、「無事に降りて(無事に帰ってきて)」と言い続けるしかないでしょう。途中で飽きたら登山家にはならないでしょうが、本当に登山家になるかもしれません。

 

後者なら、遊んじゃってる訳なので、遊びにならないように、自分で降りてもらいましょう。

 

 

角を曲がる・手を繋がないには、肯定文(曲がらないで→真っ直ぐ行って)・私(親)を連れていくに変換すれば良いのです。

 

 

大体の子どもには<肯定文>で注意するだけでも話しは通じます。(小学生から成人した子どもにも)

 

 

 

もし、あなたが否定文もしくは否定されながら怒られたら、相手の言うことを素直に聞き入れたいと思いますか?

 

自分が言われたい言葉で、自分が言われたいように、子どもに伝えましょう。