ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

《叱る》を《注意する》に変換

あるお母さんが「うちの子(2歳)全然言うこと私の聞いてくれないんです!どうすれば良いですかっ?」と。

 

その子は机の上にいます。

 

お母さんは、「何回言えばわかるの!?登っちゃダメ!!」っと抱っこしておろします。

そして、「登ったらダメ!登らないの!」と。

 

しかし、すかさず登ります。そして満面の笑顔。

 

お母さんは、私にホラね。

 

私は、「降りて」と一言。

子どもは「?」

なので、もう一度「降りてくださ~い」

すると自分で降りて、私を見ます。私は「自分で降りられたね~。なにして遊ぶ?」

子どもは、キョロキョロして次の遊びに向かいました。

 

お母さんは、びっくり。「いつも何回も繰り返して、私がキレてしまうんです」と。

私が「今は自分で降りて、違う遊びをしてますよね?いつもは登れば、お母さんに抱っこしてもらえる遊びになってるから、繰り返すのではないですか?」

お母さんびっくり。

 

 

 

違う場面で、「道を歩いていると、サッと手を離して角を曲がるんです」と。なんと声掛けしますか?と聞くと「そこ!曲がらないの!と言います」と。

その道に行くところで私が「真っ直ぐ行って!」と声掛けすると真っ直ぐ行ったところで、振り向いてニコニコ。

追いついたところで、子どもに私が「お母さんを連れていってあげないと、《お 母 さ ん》が迷子になっちゃうよ~」って言うと慌ててお母さんの手を握ります。そして「こっちダよ!」と。(お母さんびっくり、私は笑いを堪える)

 

 

読んでいる方、わかりますか?

 

登ってはいけない

降りて

の違い。

 

登るのが好きなのか、登ったら抱っこしておろされるのが好きなのか。

 

前者なら「降りて」の後にもすかさず登ります。

こういう場合は「なぜ山に登るのか?」に「そこに山があるから」と言う登山家魂があります。

その場合、「無事に降りて(無事に帰ってきて)」と言い続けるしかないでしょう。途中で飽きたら登山家にはならないでしょうが、本当に登山家になるかもしれません。

 

後者なら、遊んじゃってる訳なので、遊びにならないように、自分で降りてもらいましょう。

 

 

角を曲がる・手を繋がないには、肯定文(曲がらないで→真っ直ぐ行って)・私(親)を連れていくに変換すれば良いのです。

 

 

大体の子どもには<肯定文>で注意するだけでも話しは通じます。(小学生から成人した子どもにも)

 

 

 

もし、あなたが否定文もしくは否定されながら怒られたら、相手の言うことを素直に聞き入れたいと思いますか?

 

自分が言われたい言葉で、自分が言われたいように、子どもに伝えましょう。