ほほえみのもと

子育てから自分育て、笑顔の手前のほほえみのもとになれたらいいな

環境で人間は育つ

周りの大人の
笑顔溢れる環境の中で育つのと、
イライラ怒りの環境の中で育つのとでは、

まったく違う人生になるでしょう。


ただし、やっぱり笑顔だけや怒りだけでは無いと思うのです。


笑顔の中でも、ピリッと叱られ、何が悪かったのか、どうして叱られたのかを理解させてくれる環境なら、健やかに育つと思うのです。

怒りの環境で、たまに優しくされると、共依存の始まり。DVのスタート。それを繰り返してしまう負のスパイラルになると思うのです。



子どもの頃から、その子の持っているもの(表面的なもの)ではなく、その子自身をしっかり見極めていれば、性格や特性などを生かす方法を見つけられるはずです。てか、見つけましょう。



しかし、どんな環境であっても、子どもに何らかの特性があると、親が育てにくいと思うことがあります。

今はネットなどでいろいろな言われ方をしますが、何かしらその要素が見えたとしても、親だけで悩まず、公的施設や、病院などを頼りましょう。


親が悩んでいるだけだと、悪循環に陥るのです。


環境を整えましょう。



また、そんなこと無い!と親が反発して、こじらせるのも悪循環に陥るのです。


何らかの問題や、悩みがあるなら、すぐに相談しましょう。



そして、問題が無いのなら、とにかく自分の周り、子どもの周り、パートナーの周りの環境を整えましょう。


環境が人間をその環境に合うように育てるのです。

殺伐な環境では殺伐な人間に。
愛すべき環境なら愛すべき人間に。



なので自分の周りの環境を整えれば、なりたい自分にもなれるのです。


環境って大切です。

言わなくてもわかるでしょ!でわかるのはエスパーだけだよ

時々、子どもに(子どもじゃなくとも)怒るときに「言わなくてもわかるでしょ!」って言ってる親(大人)がいます。


それから、「昔は教えなくともできるようになっていたもんよ」とか言う大人もいます。


昔と今では何が違うのでしょう?


まず、情報量。
それからスピード。
そして、子どもを囲む大人の人数または質。


昔と今の情報量とスピードは、ものすごく違いますよね。
もう情報過多と言われるほど。
それでも「情弱……じょうじゃく=情報弱者=情報を自分で受け取れない者」と言われてしまうのです。
そして、その情報がものすごいスピードで溢れていって、更には嘘も間違いも多々混じっています。

溢れすぎて、何を見て何を聞いて良いのか迷ったりわからなくなることがあるのですが、そこをわからない大人が多くなっています。

そして、子どもを見守る大人が少ない…または…質が悪い事が多いのです。


親が一生懸命育てているのに、横から余計なこと言ってきたり。


以前、子育て用のハーネスを「犬みたい!可哀想!」と知らないおばちゃんが言ってきて、しきりに「可哀想!」と繰り返され傷ついたお母さんに相談されました。

どうしても子どもが急に飛び出したり、手を繋いでくれないから、つけたのにやっぱり可哀想なんでしょうか?と。


私は、子どもを大切に思うからこそのハーネスであって、命を守っているのですから、そんなどこの誰だかわからないおばちゃんの言葉に傷つかなくても良いんです。
その場でハーネスやめて飛び出して車に轢かれたら、おばちゃんは「何で繋いでおかなかったの!」って言いますよ。
「飛び出して命を落としたら、責任取ってもらえますか?」と言ったら「飛び出さないようにしつけなさい!親でしょ!」と言ってきますよ。そういうおばちゃんなんです。

言いたいだけおばちゃんなんです。

むかつく必要は無いし、無視で良いんですけど、どうしてもなんか言いたかったら「そんな考え方しかできないんですね。可哀想に」と心の中で言ってニッコリしておきましょう。

心の中で言うのが大事ですよ。

言いたいだけおばちゃんなんですから。逆上して更にあなたを傷つけてきますから。


そう答えました。


子どもの命を守るためなら鬼にでもなるのが親ですから。
そんな可哀想なんて言う人は、無視です。相手しなくても良いんです。



そういう質の悪い大人が多くなっています。
そんなのは無視して、質の良い大人を見極めて、子どもを育てる環境を良くしましょう。


で、子どもには、子どもにわかる言葉で伝えましょう。


何歳であっても、その子が理解できるように。
2歳でも5歳でも小学生でも大学生でも、その子が全てを理解できるように、伝えましょう。

2歳の子に、大学生と会話するように話しても理解できるでしょうか?

5歳でも、場合によっては2歳の子に伝えるようにすれば伝わるのに、5歳だからと言って5歳への話し方をしても理解できなければ、何もならないのです。
その話は子どもにとっては、さっきの言いたいだけおばちゃんみたいなものです。なんだかわからないけど、傷つくだけなのです。


さっきの言いたいだけおばちゃんが、言えば良かったのは「その紐があればこの子の命が助かるのね。まさに命綱ってやつね。早くその紐が無くても安心できるようになると良いのにね!それまではしっかり繋いでてね!」でしょうか。
それなら、親はしっかり繋ぐでしょう。


言葉は大事です。
しっかり伝えましょう。
エスパーじゃないのですから。

人を頼る事の大切さ

日本では、「人に迷惑をかけないようにしなさい」と言われる事がよくあります。

インドでは「人に迷惑をかけないようにして生きるのは難しい。だから、人から迷惑をかけられたらお互い様と思いましょう」なのですって。



でも、迷惑ってどの程度でしょう?



迷惑かけるかもと、びくつくことなく、頼ってみて断られたら、次の人を探しましょう。

そして、頼られたら、もちろん断ってもいいけど、できることなら引き受けましょう。できないことはきっぱりお断りですよ。


例え子どものお願い、パートナーの頼みでも、できないことはお断りして良いのです。

自分の願いや頼みを断られる事もあります。


だからと言って、頼むのをやめるわけでもなく、断るのをやめるのでもなく、できることは引き受け、できないことはお断り。


これを間違えてはいけないのです。


人に頼まず、引き受けてばかりは、パンクします。


そしてそんな親を見ている子どもも同じことをして、パンクしてしまうのです。


引き受けるなら気持ちよく、お断りする時も気持ちよく。


そんなふうにしていると、未来は明るくなります。


もし、お断りすることを責められたら、ニッコリ笑って気持ちよく、無理ですと言い切りましょう。

もし、お断りされたときは、キッパリ諦めましょう。



もしもそれで、嫌われたとしても、そんなあなたを好いてくれる人といれば良いのです。


そう子どもに教えましょう。

何でもイエスマンにならないように。

そして、誰かに頼ることができるように。


きっと誰かいるはずです。

それって大丈夫?

子どもは可愛いです。
子どもは賢いです。


しかし、可愛さや賢さだけで子どもを優劣つけることは、危険です。


例えば
可愛いからとおしゃれな服装をさせて、汚れるからと公園に行っても遊ばせないとか、
賢くなるためにと、勉強系のおもちゃや遊びしかさせずに、友達をバカにするとか………。



そんな極端な話なら気づくのでしょうが、ふとしたことで、ひょっと言った言葉で子どもは傷つくことがあるのです。



もちろん親もナーバスになっていることがあります。



可愛いとか、賢いと言われて育っていると、そうじゃなかったら親に嫌われるのではないのかという不安が出るのです。


親は、繊細な子どもを育てているとどうしていいかわからなくなって、可愛いや賢いというワードを言えば喜ぶと勘違いしてしまうのです。
(可愛い、賢いというワードでなくともある一定の言葉で反応するならそれのことです)


一過性の、言葉に敏感という期間は確かにあるのですが、親がそれに引きずられて、一過性ではなくなってしまうことがあるのです。


その場合、例えば、
どんなに泥々になっても、私はあなたを可愛いと思っている。とか
勉強ができなくてあなたが困ったら、一緒に乗り越えよう!とか
あなたが大好き。(可愛い・賢いを省いて直接言う)
など、可愛いとか賢いとか○○だからあなたが好きなんじゃない、あなたはあなただから大好きなんだと伝えましょう。


ついでに、パートナーが目の前にいたら、大好きと伝えましょう。
そしてありのままの自分を大好きと言ってもらいましょう。


パートナーが目の前にいないなら、鏡の中の自分に伝えましょう。



あなたはあなただから素晴らしい。

リアルとバーチャル

子どもの親が、スマホタブレットを与えて遊ばせていることが多くなっています。

それが何歳であっても、スマホタブレットを使えるようになるそうです。
ただし、それが有料サイトや悪質サイトであっても、ドンドン利用してしまうということで、良い使い方ができるわけではありません。


そしてそれが何歳であっても、使い始めたら、止め時を決められなくなる恐れは誰にでもあります。(大人でもです)



ある2歳くらいの子どもがタブレットで、遊んでいましたが、リアルの積み木ができませんでした。(指1本でさわるからです)

1歳くらいの子は、タブレットなどではなくリアルのものでたくさん遊んでいたので、すぐに積み木を遊び始めました。


この違いがわかりますか?


大人は画面で見てもリアルを知っているので、楽しく遊べると思うのですが、実は、リアルを知らないと単に画面で遊んでいるだけなのです。


例えば

行ったことのない土地の映像・写真・マップを見ているからと、そこに本当に行ったら、すぐに住み慣れた町のように歩けるかと言ったらどうでしょう?

使ったことのない器具を、いつも映像で見ていたら、はじめから完璧に使いこなせるでしょうか?



今は、絵本も映像で有るし、読み聞かせまでもしてくれる映像があります。


さて、そればかりを利用している子どもと、ときどき利用する子どもと、まったく利用しない子どもとでは、どう変わるでしょうか?


ページをめくることはできるでしょうか?
大きさの違いがわかる?
重さの違いがわかる?

仕掛け絵本を楽しめる?



そういうことです。



木登りの映像を見ていて、公園に行って、突然登り始めたら?


やはり、いくつであっても、リアルを体験できる時に体験しておくにかぎります。


危ないからと避けていても、結局は体験するなら、早くに体験すれば体重が軽い方が怪我が少ないし、親が助けやすいですよ。



今できる体験を、タブレットなどでバーチャル体験するより先にリアルで1度でも体験することをおすすめします。

子どもが何歳になっても

親が子を思う気持ちは、何歳になっても同じです。


近所に百を越すおばあちゃんがいらして、七十を越えている息子と暮らしていたのだけど、庭先で親子喧嘩?息子が反抗期?で、揉めているような感じで話しかけたら、どちらも「まったくよう~」でした。

おばあちゃんは、いくつになっても息子は息子なのだと。
息子は、母親を心配しているのに子ども扱いなんだと。


百を越えても、親は親。

心配は尽きないとおっしゃっていました。


いくつになっても、心配するのだなぁと思ったのですが、それはある意味、心配=信じきれていないという部分があるのではないかなとも思いました。


ハイハイしたら、動き回って何かを口に入れるから~。
立って歩いたら、つまづくから~。
走っていたら、転ぶから~。

勉強に習い事に友達関係………。
果ては結婚・孫などなど………。

悩みや心配は尽きないのです。


子どもの人生は子どものものです。
悩んだり心配するのは、子どもの権利です。
奪わないようにしましょう。


もちろん、心配するのは当たり前です。
でも、子ども自身が何とかする・なんとかできるチカラを持っていると信じましょう。
そのチカラをつけるよう育てましょう。


いくつになっても、そのチカラを信じましょう、

子どもと育てる

「犬と共に子どもを育てる」と、良いと聞いたことがありますか?

これは猫でも良いと聞くのですが。


それは、動物に限っているわけではないのです。


花や野菜、最近はキノコ類まで育てるキットがあるそうです。



そのように、子どもと育てることは、子ども自身が育てられていながら、育てる側を体験できるということです。


なので、お花にお水をあげたりを一緒にするのも良いでしょう。



昔、赤ちゃんが寝ているのを優しく覗き込んでいる子ども(2歳)が、突然持っていたペットボトルの水を、バシャバシャっとかけてしまったことがあります。


周りは騒然として、赤ちゃんを抱き上げタオルで拭いたり、水をかけた子のママは、叱るし謝るし、とても騒がしくなったのですが、その子はキョトンとしています。


これは、イタズラではないのです。
おうちで、グリーンを育てていて「早く大きくなぁれ!」と、願っていたのです。
赤ちゃんも大きくなぁれ!と思っただけなのです。
だからと言って水をかけてはいけないのですが。


この子の優しさをわかりますか?



人形のお世話も良いです。
でも、やはり動物・草木など成長が見えるものが良いでしょう。


参考にしてみてください。