親にも先生にも、いつも怒られているA君。
ある日やっぱり怒られていたあとに、あまり怒らずにいつも子どもを観察している、ある先生が「君は何しにココに来ているの?」と問いかけると「……怒られに……」と。
その先生は悲しくなった。
A君がやらかすたびに、その先生が後片付けをしていた。
別の、いつもA君を叱る先生があまりに酷いと親に連絡を入れたが、親も呆れているので「だからってどうしようもないです!」と。
先生も呆れてしまった。
ある日、また片付けてをしていた観察している先生が、A君のいたずらを見つける。
いたずらはいたずらであるので怒られることではあるが、その緻密ないたずらに思わず「器用だね」と言った。
A君は、怒られると思ってふてくされていたから「えっ?」と驚き「そんなこと無いよ」と言う。
まじまじ観察しているが、やっぱり器用であるので「いいや、けっこうそれ、すごいことだよ?私はそんなにできないし」と、伝えると「そうかな?」と少し嬉しそう。そのまま去っていった。
後片付けをして戻ってみると、A君はみんなと遊んでいた。(いつもは喧嘩か、いたずらしかしないのだが、その時は仲良く遊んでいた)
いつも怒る先生が「え?いたの?」とビックリするくらいだった。
また、別の日、多分使ってはいけないとされるもので、遊んでいたA君が観察する先生に「ねぇねぇ!これすごいんだよ!こうしてこうするとこうなるんだよ!」と。
観察している先生は「それがすごいんじゃなくて、A君がすごいんじゃない?」
A君は「え?……そうだね!」と、嬉しそうに離れて行った。
観察している先生は、A君を叱らなければいけなかったかもしれない。
しかし、A君だけでなく、すべての子どもに、同じように観察し、その子の良いところを伝えていると、いつの間にかその先生の言うことを聞く子どもたちになっていった。
いつも怒る先生には、言うことを聞かなくても、観察する先生の言うことを聞くのである。
何故でしょうか?
考えてみてください。