[もっと] という言葉は、今あることよりも上をと求めるコトだと思うのですが、向上心と考えれば素晴らしいです。が、相手に求められるととても苦しくなると思いませんか?
でも、親は結構軽く言いがちな言葉なのです。
這えば立て、立てば歩めの親心
という言葉があるほどに、次に次にと思うがばかりに、もっともっとと願ってしまうのです。
積み木を高く積めば積むほど、もっともっと。
塗り絵を塗れば、もっと綺麗に、もっとはみ出さないように。
本を読み始めたら、もっともっと全集買ってこようか?
足し算ができるようになれば、もっともっと、引き算、掛け算割り算ができるように。
80点を取ってくれば、もっともっと100点を目指して!
習い事で勝負に勝てば、もっともっと、優勝を!
ここまで顕著じゃなくても、プリントが思うより早く終わったら、「もう一枚やれば?」とか。
その割に、遊びに関してはもっとは少ない。
そんな親基準がないだろうか?
もうそろそろ、○歳だからこれくらい、
とか、
もうそろそろ、○年生だからこれくらい、
とか、
年齢や学年でできるようになるわけではなく、それまでにどれだけ経験を積んだかで左右されるのだから、○歳だから、○年生だからできるのが当たり前と思う親は、子どもが○歳○年生になるまでに、教えていて\経験を積ませていて当たり前と、思うようにしよう。
子どもにもっともっとと望むのなら、自分がもっともっと知恵や工夫を与えていかなくてはと思おう。
子どもは、勉強は学校などで習ってくるので、親は知恵や工夫をできるようにしていこう。
それをしないのであれば、もっともっとと望む だ け をやめよう。
子どもは大人になるために走っているようなもの。
ゴールテープを切って、休憩するはずが、次のレースのスタートを急かすようなもの。
ずーっと急かされていたら疲れきってしまう。
頭と身体と心が解離してしまう。
それは、不登校にも繋がるかもしれない。
もっともっとと急かすのは、危険なコトを知ろう。
そして、愛しているばかりに、もっともっとと思ってしまうコトも自覚しよう。
ゆっくりでも確実に。
確実なら、子どものペースで。
親のペースではなく。
親は親の人生を豊かに生きよう。