人と接していると、共感する事が大切になります。
子どもが嬉しいとき、一緒に喜ぶチカラ
子どもが悲しいとき、一緒に涙するチカラ
それは大切です。
しかし、共感力がありすぎると、【一緒に】ではなく、相手以上になってしまいます。
言ってしまえば、相手が引くくらい感情移入するのです。
例えば、
不登校の子どもの朝の様子、登校するかしないかで親が一喜一憂してしまうのです。
すると、子どもは自分のコトなのに親が絡んで来すぎて、とても負担になるそうです。(不登校だった人に聞きました)
親は親の人生を歩んでいて、不登校の自分を静かに見守ってくれているだけで、子どもは自分の人生を考えられるのですって。
なのに、子どもの人生に親が絡みすぎると(共感しすぎると)子どもは自分の人生を考える前に立ちはだかる親をどうにかしなくては!と暴れるのですって。
その不登校の子は、親がコンサートなどのイベントヘ行きはじめて、静かになってから、自分を見つめられたそうです。
また、ある不登校の子の親は、上記の情報を聞いても、「でも心配だから」と、毎日毎日「今日は学校に行ける?どうなの?」と聞き続け、ずーっと子どもは自分自身を見つめられず、最終的には親から離れる決断をして、親は捨てられた~って嘆いていました。
親がそうなるのは、子どもを心配してのコトですが、子どもは心配するより、信じましょう。
それから、子どもが共感力がありすぎると、悪いニュースばかり見ていると落ち込むし、友達が落ち込んでいると、自分のコトでもないのにどん底まで落ち込んでしまいます。
喜ぶ方ならまだしも、ネガティブに引っ張られてしまう傾向が少しでも見受けられたら、自分の人生を主役にするように、導いてくださいね。
友達(クラスメイト)が先生に怒られるのを見ているだけで(その子が平気でも)、辛くなって不登校になってしまうこともあるのです。
心が弱いのではないのです。
優しいのとも、ちょっと違います。
共鳴しやすいだけなのです。
それが悪いわけではないのです。
ただ、気を付けるだけで良いのです。
そういうチカラを持っていて、ネガティブに引っ張られてしまうと自分も相手も辛くなるから気を付けましょうと。
そういうチカラが、良い方向に出れば、相手の気持ちを推理して良い方向に導けるのです。
だから、親が共感力が強すぎて悪い方向に出ると、子どもに捨てられるほどになるけど、良い方向に向けられるなら、子どもは自分を見直して立ち上がる事ができるのです。
良い方向に向きましょうね。