現在はあまり「はれの日」とか「晴れ姿」などって聞かなくなりました。
「はれ」ってなんでしょう?
空が晴れる
疑いが晴れる
晴れ舞台
一世一代の晴れ姿などなど。
曇りなく清々しく、大舞台で素晴らしい姿をイメージしましたか?
ある一部の考えではありますが…。
体内に気力という「気」があります。
気力、元気、気持ち、気遣い、
気が重い、気が晴れる、気が狂う、気が逸れる、気が付く、気が抜ける、気をまわす、気を付ける、気を使う\使わない、空気を読む、
気配、気色ばむ、病まいは気から。
「気功」も聞いたことあるでしょう。
この「気」を説明するのは簡単ではないのですが、日本で生きていると、いろんな場面で使われ、なんとなく理解できるそうです。でも、はっきりとは理解できていないそうです。
その「気」が体内から減ってしまうと、全てが枯れて(渇れて)しまうそうです。
元気がなくなると、しょんぼりするってことです。
気の元(もと)がなくなるので、枯れてしまう。
イメージできましたか?
その「気」が枯れた(渇れた)状態を「晴らす」のが、はれの日に晴れ姿になることなのですって。
で、一説では、気がかれた=気かれた=けがれたで、汚れたとか穢れたというのは、その後の間違った(差別的な)知識なのですって。
今現在の、世界は、なんとなく人々の「気」を吸い取っていく(吸い取られていく)感じがしていると思うのは、私だけでしょうか?
気が吸い取られていくのに、はれの日がない。
はれの日とは、かれた気を補充する日のことです。
日本で言えば、七五三、雛祭り、端午の節句、成人式など、人生で1度の時や、正月、誕生日、記念日とか毎年ある日など。
ただ、今のはれの日は、あまりにも「はれ」ではないように思うのです。
気がかれていながら、はれの日がある=ルームランナーで走りながら栄養補給しているみたいな。
それは、豪華なら良いのではないのです。
それは、好き放題やり放題自由気ままなら良いのではないのです。
「気」を補充しなくてはいけないのです。
ルームランナー走りながらじゃ、補充できていないのです。
気を吸い取られるのを、止めなくてはいけないのです。
自分が、我が子が、パートナーが、いかに気を吸い取られているか、何に吸い取られてるのか、見極めて、その日だけでも止めなくてはいけないのです。
そして、充分に気を補充するのが、はれの日なのです。
補充できたら、急激に吸い取られないようにしましょう。
はれの日を大切に。
気を 無 駄 にからさないように。